壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

コロナと潜水服  奥田英朗

コロナと潜水服  奥田英朗

光文社  図書館本

少しばかり癒されたいと奥田さんの短編五編を読んだ。ちょっとだけ不思議なことが起きて、心が上向きになり、日常が好転する。ふふっと笑えて、優しい気持ちになれたようだ。

 

家族との暮らしから逃げ出して、葉山に古民家「海の家」を借りた中年の作家は、少年に出会う。

早期退職を断ったために追い出し部屋へ異動させられた社員たちが「ファイトクラブ」で元気を取り戻す。

恋人のプロ野球選手に人気が出始め、悩むフリーアナウンサーの麻衣子は「占い師」に恋愛相談をする。

コロナでテレワークとなった男は、五歳の息子の不思議な能力に気が付いた「コロナと潜水服」。コロナの緊急時代宣言のドタバタは、今になってみれば可笑しかったな。

購入したばかりのフィアット製の中古「パンダに乗って」、旧型のナビの指示するままに車を走らせるロードノベル。なんて素敵な時間を過ごしたのだろう!!!

無名亭の夜  宮下遼

無名亭の夜  宮下遼

講談社  図書館本

トルコ文学の研究者であり、オルハン・パムクの翻訳者である宮下遼氏の小説2編。翻訳文の読みやすさに惹かれていたので、小説にも興味がわいた。

無名亭の夜

《現代の日本、薄暗い路地にある名もない酒場と、はるか昔の帝国(オスマン帝国)を行き来しながら語られる、少年の物語》という紹介文を頼りに読み始めた。史実をほとんど知らない異国について、時間と空間を往還して語られる断片的なエピソードを読み解くのは大変だが、読み終わったときに霧が晴れて、「なるほど~」と感動を覚えるくらい面白かった。

せっかく読み解いたつもりになったので、ネタバレのメモを作っておこう。せめて反転を入れておこう。

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複雑に入れ替わる語り手と視点に戸惑うが、繰り返し現れる記号(◆、●少年、■彼、)と、たまに出てくる白抜き記号(○、□、◇)が語り手の交代を表していて、その点は分かりやすい。探るように読みすすめるうちに人物像がだんだんに判明する。●少年は地方貴族の三男で、帝国の兵士から文字を習い、詩を詠むようになる。そのあと皇帝の近衛兵となって、さらに出世するのだが、それはもっと後の話。

分かり難いのが◆で、誰?誰?と思いながら読んだ。◆には名称が無く、無名亭の舞台に登場する、店主の従兄弟という異国の語り部かと思うと、15世紀のペルシャにも現れて、人間ではない? 「驢馬」! 本の表紙に納得。

■彼もなかなかの曲者だ。■彼は、新宿辺りの、太っちょの店主がいる名も無き酒場に通う、作家志望の青年だ。彼は語り部の話を聴いているうちに、15世紀の異国の物語に取り込まれていく。■彼の項は、三人称で書かれた「彼」の日記であることが判明し、最後には■僕となって、新たな「僕」の物語を紡ぎ出すことになるようだ。

少年は兵士として、また詩人として成功した後にも、物語の七番目の神秘を追い求め、「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚と知性」の次の七番目の神秘についにたどり着く。それは「」!

作品の構成も凝っている。初夜から終夜までの七夜のあとに、枠線で囲まれた幕間があり、この部分で視野が開けた。そして初夜に戻り、円環が閉じられて新たな物語が生まれる。

オルハン・パムクわたしの名は紅』で、ペルシャの細密画や写本に興味を持ったが、あの装飾された枠線・罫線が物語と現実世界の境界線を成しているという◆(語り部)の言葉が腑に落ちた。本作もまた、■彼の日記が外枠になった、枠物語という構造をもっている。

 

ハキルファキル

上記と同じような構造を持っているが、語り手が三人なので読みやすい。

「私」は、神保町の喫茶店で、友人がイスタンブールの写本図書館で見つけた古い文書を見せられた。16世紀オスマン帝国時代の詩篇と裏の書付だった。それによれば、「兄ハキル」は貧しい荷運び人、「弟ファキル」もやはり貧しい詩人で、兄は文句を言いながらも大詩人を目指す弟を手助けしている。ある時弟ファキルは、有名な詩人バーキーに詩を披露するチャンスがあったのだが、貧しい身分ゆえに侮辱されてしまう・・・。

貧しい詩人のしっぺ返しが痛快だった。

さらに最後に「私」が向かうのが、新宿のなじみの名も無き酒場だ。そこには太っちょの店主がいる・・・という事で、『無名亭の夜』の初めに戻っていくのかな。ここにももう一つの円環があるようだ。

桜ほうさら  宮部みゆき

桜ほうさら  宮部みゆき

PHP研究所   図書館本

きたきた捕物帖』の舞台となった富勘長屋には、以前に若いお侍さんが住んでいた…というのがこの話。順番が逆になってしまったが、それほど支障は無かった。居心地のいい長屋なのか、みんな長く住んでいる様子で、知っている人びとがたくさん出てきて楽しかった。

冤罪で父を失った古橋笙之介は国元を追われた。江戸で父の濡れ衣を晴らすべく、父の書いた文書の手跡をわずかな手がかりとして事件の糸口を探す。学問は出来ても剣術の苦手な笙之介は、写本の仕事をしながら長屋で暮らし、長屋の人々のやさしさとあたたかさに癒される。

笙之介は別の事件にも寄り道しているので、解決に至るまでに600頁もかかった。のんびりとした雰囲気の挿絵と穏やかな語り口の人情物ではあるが、最後は大団円というわけにはいかない。心の底に澱のような黒いものが淀んだままだ。宮部さんの描く心の闇はここにもあった。

10年ほど前にNHKのドラマになっているそうだが、原作で充分か。

無人島のふたり  山本文緒

無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記  山本文緒

新潮社   図書館本

読もうか読むまいか、長い間迷っていた本だが、移動図書館の棚で見つけてしまったのは、本読みの業か。山本文緒さんと同じ病で、15年前に夫を亡くしているので最期の様子は想像がつくが、あえて思い出すのは辛い。心の厚い瘡蓋をはがす真似をしてどうする?と自分に問うが、作家としてどんな思いを綴っているのか読んでみたかった。

その余命を「長い」とさえ感じて過ごしたという。コロナ禍で無人島に暮らすような生活が、「ふたり」で本当によかったと思う。

無人島で一人ボッチは辛かろうと、読み終わった後に緩和ケア、ホスピスをネット検索した。美しい島のホスピスで美味しいオヤツを食べながら・・・なんていうのは夢か。こんなことしか書けなくてごめんなさい。

潜水鐘に乗って  ルーシー・ウッド

潜水鐘に乗って  ルーシー・ウッド

木下淳子訳   東京創元社   図書館本

コーンウォールは神話や民間伝承の豊かなケルトの土地だそうだ。古代から棲む精霊や巨人、人魚などが、現代のコーンウォールの人々の日常生活と交差している。人々の物語は現実のリアルな感情の上に描かれている。孤独、不安、病魔、カップルの齟齬、家族との行き違いなど。そこに霊的なものが紛れ込んで、温かいユーモアのある味わい深い物語になっているように思った。伝承を知らないのではっきりととらえる事の出来ない話もあるが、想像をめぐらす余地はいくらでもある。

 

不思議過ぎて、あらすじは書けないのでメモだけ。原題の方が内容に沿っているものがある。

「潜水鐘に乗って」Diving Belles
  48年前に海で消息を絶った夫を探しに潜水鐘に乗ったアイリスが、海底で出会ったものは…。

「石の乙女たち」Countless Stones
  身体が石化する予感に、家の整理をして準備したいリタ。でもダニーは新しい家に引っ越したい。

「緑のこびと」Of Mothers and Little People
  一人暮らしの母親の家に帰ってきた娘。出ていった父親は新しい相手を連れてきたが、母親は動じない。

「窓辺の灯り」Lights in Other People’s Houses
  マディとラッセルの家に難破船荒らしの男が住みついた。昔の思い出を捨てられないマディ。

カササギ」Magpies
  男が昔の恋人に会ってきた夜、カササギは何かを囁く。

「巨人の墓場」The Giant’s Boneyard
  まだ小柄な少年の亡き父は巨人だった。成長に揺れ動く少年の心が描かれる。

「浜辺にて」Beachcombing
  家を出て海岸の洞窟で一人暮らす祖母と、少年の物語。海岸で打ち上げられた漂流物を探すことを、ビーチコーミングという。

「精霊たちの家」Notes from the House Spirits
  精霊たちはずっと長い間、家を見守っている、入れ替わる居住者たちを見つめて。

「願いがかなう木」The Wishing Tree
  母ジューンと娘テッサの関係が変化する過程が興味深い。

「ミセス・ティボリ」Blue Moon
  老人ホーム〈ブルームーン〉には、他の施設に入所できないような高齢者がいる。魔女だって歳をとる。いや歳をとって魔女になったのか。

「魔犬(ウィシット)」Wisht 
  父親と暮らす少女。彼女は大きな花崗岩の荒野に魔犬の遠吠えを聞いた。

語り部(ドロール・テラー)の物語」Some Drolls Are Like That and Some Are Like This
  観光客相手に昔の話を思い出せない語り部。でも海岸や鉱山跡をめぐるうちに、物語を取り戻していく。

 

コーンウォールと言えば、デュ・モーリアの小説(『原野の館』『レイチェル』など)を思い出す。ケイト・モートンの『湖畔荘』もここが舞台だった。ミステリアスな場所なのだろう、隣のデボンにあるダートムーアには『バスカヴィル家の犬』もいる。

大仏ホテルの幽霊  カン・ファギル

大仏ホテルの幽霊  カン・ファギル

小山内園子訳 白水社エクス・リブリス  図書館本

《韓国社会の〝恨〟を描くゴシックスリラー》だという。出版されたばかりだからネタバレなしでいきたい。

 

三部構成の枠部分(第一部)は、怨恨のようなものにとり憑かれて小説を書くことができなくなった作家の独白から始まる。

中味の第二部がゴシックスリラーで、作家の友人が祖母から聞いた物語を、ある若い女性を視点に据えて語り直したものだ。仁川にあったという大仏ホテルでの出来事は、韓国の戦後史を重く抱え込んでいる。哀しみや悪意や恨みに縁どられた史実と虚構が入り乱れ、語り手も登場人物も信用できない。スリラーは面白く、ミステリ要素は一応の解決を見ているが、納得はいかない。

現在の作家の独白に戻った後枠の第三部で、作家の感情が変化してきたことに、何か納得できるものがあった。

 

第二部で出てくるアメリカの女性作家の『The Haunting of Hill House』(丘の屋敷)は、本書の題名『The Haunting of Daebul Hotel』に重なる。『丘の屋敷』は未読なのが残念だった。もう一つ取り上げられる『Wuthering Heights』(嵐が丘)も、50年以上前の記憶によれば、怨恨と復讐と愛の物語だったように思う。

 

第二部の語り手ヨンヒョンは朝鮮戦争で蹂躙された月尾島(ウォルミド)の出身だ。朝鮮戦争で半島全土が戦場となり多くの民間人が犠牲になったことを詳しくは知らない。学校で習った歴史で朝鮮戦争による戦争特需で日本経済が上向いたと聞いたが、隣国の戦争で儲かるというのがなんだかひどい話だ、と昔思った。ちゃんと本を読もう。

本売る日々   青山文平

本売る日々   青山文平

文藝春秋   図書館本

江戸時代、農村が豊かな時代なのだろう、村々を行商する平助が扱うのは、主に物之本と呼ばれる学術書や専門書だ。名主や在郷の商人や医家が得意先である。書物そのものが好きなのはもちろんだが、書物に知識を求めて思索をめぐらしていく人々が描かれている。古書への蘊蓄がたっぷり盛り込まれて、少し毛色の変わった時代小説だ。武士も町人も登場しないが、農村の豊かな風景と人々の豊かな心情が感じられていい雰囲気の小説だった。

「本を売る日々」「鬼に喰われた女」「初めての開板」の連作短編。行商の平助が出会った書物を愛する人々との交流が、ミステリやホラーを味付けにして書かれている。

本を売る日々」では名主の惣兵衛が孫のような歳の女を身請けした話。惣兵衛は女の思いを理解していなかった。

鬼に喰われた女」では別の村の名主が登場する。藤助は群書類従六百六十六冊を収めるために新しい座敷まで普請した。何故それまでに国学を学びたいのかという理由に納得した。藤助が語る八百比丘尼伝説のような不思議な話は切ない。

初めての開板」平助は以前より自分で開板(本を出版する事)が夢だった。村人が信を置く医者と出会い、その口訣(言い伝えの秘伝)を出版するまでのいきさつが書かれる。最も面白かった。医家の口訣というのは症例研究みたいなものか。