壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

シャーロック・ホームズの誤謬  ピエール・バイヤール / バスカヴィル家の犬 コナン・ドイル

シャーロック・ホームズの誤謬 『バスカヴィル家の犬』再考  ピエール・バイヤール

平岡敦 訳 創元ライブラリ Kindle

バスカヴィル家の犬 【新訳版】  アーサー・コナン・ドイル

深町眞理子訳 創元推理文庫 Kindle

アクロイドを殺したのはだれか』で、クリスティに異を唱えて本当の犯人を推理しながらミステリ批評を展開したバイヤールのもう一冊の推理批評です。これも同じように、遊戯性のあるすごく面白い本でした。

『バスカヴィル家の犬』再考とあるので、いちおう正典を新訳で読み直しました。新旧のドラマも見たし、さすがに覚えていました。ダートムーアの底なし沼に沈んだあの犯人は結局行方不明だったのです。細部もいろいろ思い出したのですが、『シャーロック・ホームズの誤謬』の第一部でホームズの捜査が丁寧に解説されていて、正典を読まなくてもよかったようです。それにバイヤールの著書に『読んでいない本について堂々と語る方法』というのがあるくらいですから。

ドイルが(またはホームズが)指し示した人物が犯人ではありえないと、「本当の犯人」を探すのもバイヤールの目的の一つかもしれませんが、それ以上にバイヤールが語りたいのが「フィクションとは何か」という文学的命題だと思います。どちらかといえば無味乾燥な文学論を、本当の犯人捜しというミステリの手法を餌にして、読者に読むことを強いてくるのです。

バイヤールいわく、“虚構と現実のあいだに強い浸透性がある。虚実間の境界は明確でなく、越境が常に双方向で行われている。”読者が虚構の世界に入り込んで暮らすだけでなく、虚構の世界の登場人物が勝手に動き出すことがある、つまり文学作品の登場人物には自律性がある。”というわけです。これが、本当の犯人に気が付けなかった原因の一つだと、バイヤールは主張しています。

文学作品を読んでいるうちに、現実と虚構の区別がつかなくなるくらい強い印象と存在感を感じる事はよくある事です。ドラマでだって、「あの人を殺さないで!」なんて声をよく聞きます。物語の舞台の「聖地巡礼」も盛んです。

もう一点面白かったのは、天才探偵であるホームズがなぜこんなに誤謬を犯すのかという点で、これは著者ドイルと探偵ホームズの確執から来るものらしいのです。ドイルは『最後の事件』で一度ホームズを滝つぼに落として殺しています。しかし読者(や世間や出版社)に懇願されて、ホームズを復活させ、出版したのがこの『バスカヴィル家の犬』でした。

シリーズ物の人気ミステリって、作者も止め時が難しいでしょうね。マンネリに陥らずに新しい作品を作り出すって相当に大変でしょう。作者が自ら作り出した探偵にアンビバレントな感情を持つそうです。

この作品の中では、ホームズの活躍する場面が極端に少なく、間違いばかり犯しているのですが、これはドイルがホームズを殺したいほど憎みながら、嫌々復活させたためだそうです。さらに、ドイルがホームズとの抗争に没頭して無意識に彼を妨害していたために、ドイルもホームズも本当の犯人の憎悪に気が付かなかったというわけです。

「本当の犯人は誰なのか?」については、本書が一種のミステリ小説ですからここには書けませんが、読み終えて、なるほどと思いました。いくつか疑問点は残りますが、伏線が回収され、何よりもバイヤールの諧謔に満ちた論理に説得されてしまいました。

 

この時期にどうして、文庫版と電子書籍が出たのか?と不思議に思ったのですが、こんな邦画が公開されたようです。『バスカヴィル家の犬』の翻案で「瀬戸内海の離島の華麗な一族の謎の死と呪い…」という内容だそうです。『バスカヴィルの犬神家』みたい(笑)。