壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

息吹  テッド・チャン

息吹  テッド・チャン

ハヤカワ文庫SF  電子書籍

こちらの『息吹』(平野誠一郎)を聴いたあとに出会って、半額セールで購入してあった本。現在、キンドルの中を漁って、積読を解消中。こんなに面白い本を積んでおいたなんて…、もっと早く読めばよかった。正統で思索的なSFというのだろうか、それなのに感動的でもあるのだ。感想を書くと長くなってしまいそうなので、なるべくコンパクトにまとめておきたい。テッド・チャンの作品は、科学や論理を扱っているようでいて、AIを含めた人間の知性に対する問いであるように思う。


まずは表題作の「息吹」:金属製の身体を持つ生命体は、地下の貯蔵庫に蓄えられた高圧の空気を金属肺に取り込み、その気圧差(「息吹」)によって生命と思考を維持している。その仕組みを解明するため、自らを解剖した解剖学者の手記という形で物語は進む。しかし、その生命の源である高圧空気はいずれ枯渇し、宇宙は平衡状態へ向かっている。
私たちの地球の生命は化学エネルギーを利用しているが、この息吹の世界では生命を支えるのは気圧差である。まったく異なる仕組みを描きながら、どちらもエントロピーの増大という宇宙の法則から逃れられない。そこに、この作品のSFらしさを感じたが、それ以上に心を動かされたのは、その危機感を他の宇宙文明に伝えたい と手記が語っている点だ。「知識は時間や宇宙を越えて誰かに届くかもしれない」という希望の物語なのだ。
「生命体は負のエントロピーを食べて生きている」というのはシュレーディンガーの言葉だが、エントロピーがマックスに増大して平衡状態となり宇宙の「熱的死」がやってくるのかどうかを心配するよりも、この暑さで熱死しないように気を付けないとね。

 

長くなってしまったので、後は簡単に。

錬金術師の門」:タイムトラベル物ではあるが、千夜一夜のような不思議な物語である。〈歳月の門〉をくぐると二十年前または二十年後の世界を行き来した三人の人物の話。過去も未来も変えることができないのだが、自分の人生に対する認識が変わるのだ。緻密な語りに、納得するしかない。

 

予期される未来 」:ボタン一個とLEDライト一個からなる予言機が開発された。ボタンを押す一秒前にライトが必ず光る。予言機を出し抜く方法がないという事は、自由意志が存在しない事を示している。そして未来が変更不可能であることを思い知る。その時あなたはどうなるか。わかったようなわからないような…論理で殴られたような気がする。

 

ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル 」:デジタル生物を育てる二十年間の話。仮想空間でAIを搭載したソフトウエアというのは、一個体としての〈赤ちゃんAI〉とでもいったらいいのだろうか。親の役目をする人間が、一対一で教育をし、経験を積ませ、愛情をもって育てていく。アバターというデジタルな身体性を持たせ、さらにロボット筐体に挿入してリアルな世界に持ち出すこともしている。私たちの子育てと重なる部分が多いが、個性を持つAIの人格権をどう考えるかとか、人間の場合とは別の問題も生まれてくる。さらに開発した会社は倒産し、プラットフォームの更新もできなくなる。その結果、AIたちは他のAIとの交流も絶たれてしまう。その状況を育ての親である人間がどう乗り越えていくのか。まさに「子育ては自分育て」という状況だ。

 

デイシー式全自動ナニー 」:ナニー(子守)には子育てを任せられないと、20世紀初頭に一人の数学者によって開発されたのが機械式子育てマシーン。それがどのように使われ、廃棄されるに至ったかが語られる。開発者の父が不器用に息子を育てようとする物語でもある。当時の英国上流家庭では、母親が直接子育てをしないことも珍しくなかった。その時代背景を思うと、この物語はさらに皮肉に感じられる。

 

偽りのない事実、偽りのない気持ち」 :パーソナルカメラを装着して多くの人がライフログをとっている。その膨大な映像記録を簡単に検索するソフトが普及した。過去の曖昧な記憶、または書き替えられた記憶が、映像によって精査されてしまう。それが人間に好ましいことなのか。口承文化しか持たない部族集団にヨーロッパ人の宣教師が文字を持ち込んだ時代と比較されている。ここでも、妻が去った後の父と娘とのぎくしゃくした関係が語られている。人間は物語でできている。不完全な記憶こそ物語を組み立てる素材になる。曖昧な記憶は自分への救いと他者への赦しにつながる。事実は真実とは違うのだろう。記録に残るよりも記憶に残る、というのは誰の言葉だっただろうか。

 

大いなる沈黙」: 地球外生命体を探査しているアレシボ天文台の電波望遠鏡のそばに住むヨウム達は、言語を介したコミュニケーションをとっている。いるのかもわからない遠くの知的生命体を探す人類は、この絶滅しかかっているヨウム達の呼びかけに気が付かないのか。皮肉な小品だ。

 

オムファロス」:へそ(ギリシャ語オムファロス)の無いミイラが見つかり、ある時期から成長輪のない木が発見される世界では、神による世界の宇宙創造が科学研究と矛盾しない。ところが、天文学上のある発見が神による創造を否定するという論文が出た。信仰の危機に直面したとき、科学者はどうするのか。テッド・チャンはドーキンスのように宗教をぶった切ったりはしない。信仰と科学は両立できるのかを問うている。

 

不安は自由のめまい」:プリズムという名の装置を使えば、多元宇宙におけるパラレルなもう一人の自分と連絡が取れる。人生の分岐点において、自分の選択がその先の世界にどんな影響を与えるかを知ることが、その人にとって本当に必要なことなのだろうか。多元宇宙の仕組みを十分に理解できず、不消化だった。でも、このプリズムを使って詐欺を働こうとする男に協力しそうになる女性が、自分自身の正しい選択の積み重ねで、最終的に自分の未来を選び取っていくという決意をしたという明るい結末にほっとした。

 

感想を簡単にはまとめられなかったが、キンドルの中の積読本(積ドル本と称している)がとりあえず一冊減った。映画化された「メッセージ」は見たような気がするのだが記憶が曖昧なので、どうしても読みたくなって、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を半額にて購入してしまった。積ドル本がちっとも減らない。

SFを科学する 史郎正宗を作るには

SFを科学する 史郎正宗を作るには
別冊日経サイエンス  史郎正宗編

『攻殻機動隊』の隠れファンなので、この日経サイエンスは見逃せない。ずいぶん久しぶりに購入した。氏は日経サイエンスの愛読者だそうだ。過去の記事の中で作品に関連がありそうな27編を採録したものだという。
まだ第一章の混合栄養生物について拾い読みしただけだが、興味を惹かれる話題が分かりやすく、いかにもSFのテーマになりそうな感じだ。
第二章の第一編目「ChatGPTが映し出すヒトの知性」では、数学の問題をChatGPTに解かせる話が分かりやすかった。人間は論理、大規模言語モデルのAIは文脈という単純な違いではないということだ。どちらも「記憶から候補を取り出す仕組み」と「論理的に処理する仕組み」の両方を持っているが、その実現方法が違うというのは興味深い。

そのあとの記事はまだ読んでいないが、だんだんに読みたいと思う。


そして、史郎正宗氏の「あとがき」がおもしろい。この半世紀に著しく科学が進歩したが、”世の中が便利になればなるほど脆弱でリスクも大きく、土台となるインフラの更新が遅れて劣化が進んでいる肌感もあって、必ずしも「よくなっている」と言えない点が多々あり、手放しで喜ぶことが出来ないとも感じている” という言葉が印象的だった。

目次
第一章:旅は続くよ何処かへ…(11編) 生物の進化と人類の知能をテーマにしている。 
第二章:水面に映る我々は… (10編) AIの発達から人間の知性を探る。
第三章:もつれる未来へ…  (5編) 量子科学の未来 
第四章:神は何処に…  (1編) 科学者は無神論者か。

詳しい目次を眺めているだけで、SF小説を探すきっかけになりそうだ。

八月の降霊会  若竹七海

八月の降霊会  若竹七海
角川文庫  電子書籍

去年の八月に『八月の○○』という本をまとめて読んで、悦に入っていた。その時に購入して積んであった本。

山深い別荘で開かれる降霊会に招待された客たちは、それぞれに隠された過去を持っているらしい。電話線も切られ、山荘を出ていく手段もない中で、殺人事件が起きる。
三十年近くも前に書かれたミステリーだが、携帯電話が普及していない時代、白骨死体の身元確認にDNA鑑定が使えない時代だから、時代設定はもっと前になるのだろうか。
クローズド・サークル物で、クリスティの心理劇の要素があるのか、そして犯人捜しに論理的な展開があるのかと思ったら、途中から全く別の展開になった。オカルト・コメディの雰囲気かと思えば、エクトプラズムめいたものが出てきて、ゴシックホラー? 結末が全く理解できず、「?」が百個くらい頭の中を飛び交う。

加齢によってミステリを理解できなくなったのだろうか。キーボードから「koureikai」と入力すると「降霊会」ではなく、「高齢化委」と変換された。どんな委員会なんだ! パソコンにまで年齢を指摘されるとは。読後も後味も、なんとも奇妙な一冊だった。

ブティック  池井戸 潤

ブティック  池井戸 潤
Audible

風邪を引いた後の体調不良で本が読めない日が続いているので、頼りはAudibleだけなのだ。
池井戸さんの小説って、Audibleに最適だなあと、いつも思う。ハヤブサ消防団』『半沢直樹』『かばん屋の相続』、どれも、Audibleで聞いたことしかなくて、活字を読んでいないのは失礼かな、と思うのは古い考えなのだろう。
朗読だけでも理解ができ、多少聞き逃してもストーリーについていける。ハラハラさせられるが、安心・安定のストーリー展開。敵味方の区別がはっきりした分かりやすい人物像。会話が多くて、知らない専門用語も分かりやすく説明してくれる。株も投資も全く知らない金融音痴の私にも分かるような話なのだ。
M&A(企業の合併と買収)を専門にする小さな会社で活躍する若い元銀行員の話で、半沢直樹シリーズに似たところがある。
「M&Aとか、TOBとか、ハゲタカファンドが株式を買い集めて高く売り金儲けのことしか考えない奴ら」みたいな、小学生レベルの金融知識しかなかったが、会社の事業を承継するための大事な手段でもあるのだなと、なんとなく理解した。とにかく面白かった。

0冊目の本/卵の緒  瀬尾まいこ

0冊目の本―今、ぼくの70ページ―  瀬尾まいこ
新潮文庫 電子書籍

「本を読みたいけれど、何を読めばいいの? どう読めばいいの?」という子供たちに贈る、無料配布の本(電子版)です。小学校高学年以上が対象になるかな、と思います。
中学3年生の朝井育生の家庭環境は、傍から見れば複雑かもしれないけれど、とても楽しい。テニス部で最後の試合に出る前に、友人たちと努力を重ねたひと夏の物語。
優しくて楽しい物語に大人も癒されました。瀬尾さんのデビュー作の続編だそうです。早速、デビュー作『卵の緒』も読みました。

 

卵の緒 瀬尾まいこ
マガジンハウス 電子書籍

『0冊目の本』の前日譚。冒頭、「僕は捨て子だ。」という小学校四年生の育生が、母さんにへその緒をみせて欲しいと頼む。血のつながらない親子の間の愛情が、温かく描かれている。
ベストセラーで映画化された『そしてバトンは渡された』もまた、血のつながりの薄い家族の物語のようです。気力が出ないので、短くてあっという間に読め、優しく癒される話が読みたい今日この頃です。

よそ見津々  柴崎友香

よそ見津々  柴崎友香
日本経済新聞出版社  図書館本

2010年のエッセイ集。大阪で生まれ育った著者が東京暮らしを始めてからの五年間に書かれたエッセイが90話、収録されている。東京に来て大阪と違う所は、木が大きいことだという。町中に緑が多く、巨木を見かけるが、大阪とは全く違う。
私は大阪を全く知らないから、大阪に緑がほとんどないということに驚く。そして大阪では食パンが五枚切りが主流で、八枚切りを見たことがないそうだ。
東京の見知らぬ街を路線バスで巡りながら、のんびり風景を楽しんでいる著者の目線は、やはり小説家のものなのだろう。日常の何気ない風景の中から、思いもつかないものを拾い出す。著者の小説で読んだ場面がふと思い出される。そして時々混ざる大阪弁が新鮮だ。
料理はするけれど分量など適当、見知らぬ場所への好奇心はあるが、ひとりで旅するのは面倒で怖がりなので不得意。わかるなあ〜。パクチーが好きになれないのも一緒! 


このところ体調がすぐれず、まとまった本が読めていない。この本は数ページの短いエッセイが多くて、図書館で借りてから三週間をかけて拾い読みした。そして、柴崎さんの小説をもっと読みたくなった。

 

ベートーヴェン捏造  かげはら 史帆

ベートーヴェン捏造: 名プロデューサーは嘘をつく   かげはら 史帆
Audible

配信動画で映画『ベートーヴェン捏造』がばかばかしいくらい面白かった。全員日本人でベートーヴェンの時代の音楽家たちを演じているという違和感は次第に薄れ、芸達者な俳優たちの胡散臭い演技が楽しかった。原作は当然「フィクション」なのだと思っていたのだが、なんとノンフィクションだという。本を読みたかったが、とりあえずAudibleで聴いた。
原作も映画以上に面白かった。ベートーヴェン研究の学術的成果に基づくノンフィクションでありながら、まるで小説のような面白さがある。いや、ノンフィクションの枠を踏み越えたフィクションを読んでいるような感覚にさえなった。とくにシンドラー目線で進む中間部分は、なぜ一次資料である筆談用の「会話帳」を改ざんしてまで、自分の理想とするベートーヴェン像を捏造してしまったのか考察がリアルで、説得力があった。
ベートーヴェンの弟子または秘書として、没後に『ベートーヴェン伝』を書いたシンドラーが、ベートーヴェンに執着するあまり、どんどんと自己保身の方向に動いていくのだ。映画を先に見てしまったので、このノンフィクションの「フィクション」感がぬぐい切れないが、後年の研究によって、シンドラーが「会話帳」を改ざんしていたことが明らかになり、彼の『ベートーヴェン伝』は史料として信用できないとされている。本書は、その問題を掘り下げた著者の修士論文がもとになっているという。

考えてみれば、子供の頃に読んだ「偉人伝」の多くにも、どこか「いいとこどり」の脚色された胡散臭さを感じ、素直に感動できなかった。あの頃の違和感は、案外間違っていなかったのかもしれない。