壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

禁忌 フェルディナント・フォン・シーラッハ

禁忌 フェルディナント・フォン・シーラッハ

酒寄進一 訳 創元推理文庫 電子書籍

シーラッハを『犯罪』『罪悪』『コリーニ事件』と読んできたが,本書は絶対にネタバレしてはいけないタイプの小説だと感じた。でも面白くて一気読みし,とても印象深くて,何か書き留めておきたいと葛藤する。

緑,赤,青,白の四つの章の長さがひどくアンバランスである事にまず気が付く。

全体200頁のうち緑の章は100頁もある。共感覚を持ち、写真家として大成功をおさめたゼバスティアンの生い立ちと心象風景が抑えた語り口で語られている。細部にわたる描写と,大きく抜け落ちているのではないかと思われる部分があって,読み進みにつれて不安な気持ちになってしまった。

赤の章は10頁と短く,女性検察官ランダウの視点で語られる。刑事による取り調べの場面だけから,その事件の全体像をつかもうと想像力を必死で働かせなければならなかった。

青の章は80頁ほど。ゼバスティアンの弁護を引き受けた刑事弁護士ビーグラーが登場する。彼の狷介な人物像が変化していく様子,緊迫した法廷場面で強要された自白を追及する様子,ゼバスティアンの謎めいた様子,そして事件の真相に翻弄されてしまった。

白の章はたった2頁。こんな終わり方? 伏線は回収されず,事件の詳細も語られない。想像の余地があり過ぎて混乱するのだが,嫌な終わり方ではない。

あちこち連れまわされて最後に放り出された感じだが,それがまた面白いと思えた。事実とは何か,真実とは何か,揺らぐような感覚を味わわせてもらった。

法廷場面の強迫による自白をどうとらえるかにはシーラッハ自身の強い思いがにじみ出ているようだった。このテーマは次作『テロ』につながるような気がしている。短編集『刑罰』どもども,文庫になって安くなったら読もう。

青い城 モンゴメリ

青い城 モンゴメリ

谷口由美子訳 角川文庫 電子書籍

赤毛のアン』シリーズを読んだのはもう50年~60年も前ですが,今でもよく覚えています。小中学生の頃にはアン自身の物語に引き付けられましたが,今になって面白く思い出すのはアンの周辺の人々の話です。本作を読んで思い出したのは,同居する母親に束縛されて自由に外出もできない老嬢の話でした。(小学生だった私は老嬢って老女かと思っていた。)

 

『青い城』の主人公,29歳の未婚のヴァランシーは,母親ばかりか一族郎党に軽く扱われ束縛されて,言いたいことも言えないまま絶望的な毎日を送っていた。唯一の癒しは想像の中の美しい「青い城」だけ。ある時自身の余命が一年しかないことを知って決意する。「やりたくないことは,一切しないわ」。ヴァランシーは家を出て家政婦として稼ぎ,自立して自由に暮らし始める。自ら望んで行動し運命を切り開いていく姿が,ユーモラスなファンタジーとして描かれている。

 

着るものも髪型も自分の自由にできず抑圧されていた今までの鬱屈を晴らすため,ヴァランシーが手のひらを反すように一族の食事会で母親やうるさがたの親戚に反抗し,皆を辛口にやりこめる様子は小気味よくて胸がすっとしました。人間,開き直るとなんでもできるんだと。バーニイと二人で暮らす小さな島や森の風景描写は,まさにモンゴメリのものでうっとり読みました。幸せな暮らしが崩れそうになった後も,もう一度愛を取り戻しました,というハッピーエンドです。愛だけでなく,愛読書と,たくさんのお金もね。

 

面白くて一気に読みました。モンゴメリは『赤毛のアン』シリーズ以来です。翻訳が村岡花子訳に近くてアンの雰囲気そのもので,「アン」をもう一度読み返したくなりました。

ただ70歳を過ぎた老女が読むと,モンゴメリのハッピーエンドは盛り過ぎじゃないかとも思います。

かわうそ堀怪談見習い  柴崎友香

かわうそ堀怪談見習い  柴崎友香

角川文庫 電子書籍

力の抜けた,いい感じの怪談。27の短い章からなる「脱力系怪談」(?)。聴き手を怖がらす意図がなく,語り手が淡々と事実を語り,出会った怖さすらそっとやり過ごしてしまう。語り手は恋愛小説家という肩書から逃げたくて怪談小説家を目指す作家,谷崎友希。故郷に戻って怪談のネタ探しをするうち,身の回りの違和感を拾い上げて奇妙な事を綴っていく。見知らぬ人からのメールやメッセージ,買っても元の古本屋に戻る本,何かを映すテレビ,足音。何の解決も与えられないまま話が進んでいく。語り手は幽霊を見たことがないというが,中学の同級生のたまみは,「それうそついてるで」という。この二人の過去には語り手が思い出したくない謎があるらしい。後半過ぎ,忘れていた記憶を取り戻した谷崎はさらに別の世界に踏み込んでいくようだ。

 

読み終えてもう一度読み返したくなるくらい気に入ってしまった。日常の風景の描写が上品で,その中にかすかな気配が混じってくる。語り手の「怖い」という感情を押し付けられないので気持ちよく読むことができる。幽霊を見るより,幽霊にみられる方がもっと怖いし,記憶の彼方にある,忘れているらしい「何か」っていうのが一番怖い。

そして,私には何よりも語り手の姿勢が受け入れやすい。

“感情が上がったり下がったりすることが,基本的に苦手だ。動揺したりはしゃいだりしてしまった日は,あとで必ず後悔する。規則正しく一日が送れると満足する。天気がよければ,十分だ。“

“人生の中でできれば避けて通りたいことの双璧がマラソンと登山であるこのわたしに…“

感情を動かされることとマラソンが苦手なのは若い頃からそうだったが,70歳過ぎてからは恋愛小説を読んでも怪談を読んでも,脳内物質の乱れることがほとんどなくなってしまった。感情を平坦に保つことが楽にできるようになったので,もう認知症レベルかもしれない。でも好奇心はまだ残っているから,残り少ない好奇心の趣くままに毎日本を読むのだよ。

 

ホラー系の小説を読み終わった後にKindleが薦めてきたのが本作。初めての作家さんだが,いい本を紹介してもらった。小野不由美残穢』の雰囲もあるが,あれのほうが怖かった。柴崎友香の他の小説も読んでみたい。やはり芥川賞受賞作かな。

はだかの太陽 アイザック・アシモフ

はだかの太陽 アイザック・アシモフ

小尾芙佐 訳 ハヤカワ文庫

鋼鉄都市』の続編。地球と宇宙国家連合との関係などの世界観は前作で充分に説明されていたので,順序通りに読んだ方が物語のストーリーを楽しむことができる。

地球での宇宙人殺人事件を解決した刑事イライジャ・ベイリは,殺人事件の捜査要請を受けて任地へ向かうのだが,今度はなんと惑星ソラリア。地球人は何世代にもわたって閉鎖空間で暮らしているために広場恐怖症で宇宙が怖いのだが,決死の覚悟で宇宙空間に旅立った。

かつて相棒として働いた宇宙人ロボットのダニール・オリヴォーとソラリアで再会し,捜査を始めることになる。ソラリアは人口が少なく高度に過疎で,多数のロボットによって文明が支えられている。人間同士が直接対面で会うことは嫌悪されていて,ほとんどすべてのコミュニケーションは三次元映像装置を介して行われている。人間同士の接触がないのにどうやって殺人事件が起きたのか。ロボットは例の「ロボット工学三原則」で殺人は論外なのだが,では誰が犯人なのか。ベイリは精力的に動いて関係者との直接または間接的な面接を行いながら,不可能犯罪を解いていく。

ソラリアに来たときには,狭い空間に閉じこもって暮らす人口稠密な地球社会を劣ったものと考えていたベイリだが,事件解決を通して地球の特性こそが未来につながる強みだという事を確信する。

 

続編も読みたいが『夜明けのロボット』『ロボットと帝国』は絶版。『鋼鉄都市』に映画化の話もあったそうだが今は立ち消えのようで,映画になって電子版を出してほしい。

SFとしてもミステリとしても成立する面白い作品で,1950年代に書かれたのに,オンライン食事会とかオンラインデートとか,ソーシャルディスタンスとか,コロナ禍の私たちの言葉でソラリア人たちの様子を表現できるくらい未来を予測していることに感激

ずっとお城で暮らしてる シャーリイ・ジャクスン

ずっとお城で暮らしてる シャーリイ・ジャクスン

市田泉 訳  創元推理文庫  電子書籍

“あたしはメアリ・キャサリン・ブラックウッド。十八歳。姉さんのコンスタンスと暮らしている。”  からはじまる一人称の語りは,美しくも悪意に満ちて歪んだ世界を描き出している。惨劇のあった資産家一家の生き残りとして村人から排除され,ひきこもるように暮らす姉妹と認知症(?)の叔父の生活は一見して平穏で楽園のようでもある。でもやはりおかしい。メアリ・キャサリン(メリキャット)の言動は18歳という年齢よりずっと幼く夢見がちで,ちょっと壊れてる。10歳ほど年上の姉コンスタンスが妹を見る目線も幼児を扱うようだ。

読んでいるうちに,村人たちのむき出しの悪意と,途中から同居する従兄チャールズの怪しげな意図に心騒ぎ,ついメリキャットの味方をしたくなる。事件が何だったのか不確定なことも多い。村人の方から見たら,幹線道路への便利な近道を囲い込み,凄惨な事件を起こしたとされる魔女じみた一家に対する敵意もまた理由のないものではない。ある事故をきっかけに村人の敵意が爆発するところは相当怖い。崩壊した楽園で世間と隔絶した暮らしを選ぶ姉妹に未来があるとは思えないのだが。

 

一日で読了したが,スッキリしない終わり方で,何か気になる作品だ。映画化されているが見るかどうか思案中。レンタルで400円は迷う。前回読んだダフネ・デュ・モーリアの作品を閉じた時に,Kindleにお薦められて読んだ初めての著者の作品。サイコホラーというような大雑把な括りなのかもしれないが,私には全く異質に感じる。

人形 ダフネ・デュ・モーリア

人形 ダフネ・デュ・モーリア

務台夏子 訳  創元推理文庫  電子書籍

デュ・モーリアの初期短編14編。どれも短い話なので後の作品ほどの完成度はないが,その片鱗をうかがわせるものが多い。それぞれに,幻想,悲劇,喜劇,風刺,サスペンスなどの風味があって,独白や書簡などで表現される信頼できない語りという叙述のテクニックによって,人間の心の裏側がとことんあぶり出される。印象的なのは「東風」と「人形」で幻想的なサイコスリラーは著者の独壇場。「いざ、父なる神に」「天使ら、大天使らとともに」の主人公で俗物牧師のホラウェイ師と,「笠貝」のおためごかしの語りを貫く厚顔な女を描く辛辣さもいい。

 

翻訳されて手に入るデュ・モーリアの小説をすべて読んでしまったのが残念。

 

東風 East Wind

外界と隔絶した孤島で人々は変化のない平穏な暮らしをしていた。あるとき東風が吹いて大嵐と異人たちの船がやってきた。島の秩序が一気に崩壊し住民たちはもう元には戻れないのだろうか。

♪日本なら「東風吹かば…」は梅の匂いをもたらすが,ヨーロッパではシベリアの方から寒気をもたらす東の大嵐が来るのか,恐ロシア。

人形 The Doll

魔性の女レベッカに恋して転落していく「僕」の不完全な手記。

♪『レベッカ』よりもずっと以前に書かれたものだけど,この名前には著者の思い入れがあるのだろうか。50年以上前に小説をよみ,ヒチコックの映画も,最近のリメイクも見た。一度も姿を見せない女レベッカの恐ろしさは強烈だ。

いざ、父なる神に And Now to God the Father

人気牧師ジェイムズ・ホラウェイは見かけとトークで上流階級の信徒を集めている。彼についてその素晴らしさを語れば語るほど,彼の俗物ぶりが露呈する。

下記の「天使ら、大天使らとともに」はこの続編?

性格の不一致 A Difference in Temperament

いつもかみ合わないカップルの口喧嘩。よくある話だが,どこですれ違ってしまうのか,語りのうまさに引き込まれる。

満たされぬ欲求 Frustration

7年間待ってやっとのことで新婚旅行に出かけたカップルに起きるアクシデントで,初夜はいつ来るのか。

ピカデリー Piccadilly

メイジー自身が語る転落の人生は切ない。お告げに頼ってメイドから娼婦になってしまうまでを語る。下記の「メイジー」は続編

飼い猫 Tame Cat

寄宿学校を終えて帰ってきた娘は自分がすっかり大人になったと思っている。母と親戚じゃないジョンおじさんと三人で仲良く暮らせると思っていたのに。

♪娘が真実を悟った瞬間が見事に痛々しい。娘の騙りかと思ったら,本当に知らなかった。   

メイジー  Mazie

娼婦となったメイジーは自身の悲惨な行く末から目を背けたいのに,先にある絶望を感じさせる。

痛みはいつか消える Nothing Hurts for Long

三か月ぶりにベルリンから帰ってくる夫を迎える妻は,親友から夫婦の破綻を相談されても全く共感できなかったのに,夫の様子に何かを悟るのだ。

天使ら、大天使らとともに Angels and Archangels

人気牧師ジェイムズ・ホラウェイは,今度はまっとうな副牧師から自分の教会を取り戻すためもっと腹黒い事をしでかす。俗物を越えて悪人になっている。

♪ところで「ピカデリー」で,掏摸で捕まったメイジーが副牧師に助けられていて,「メイジー」は教会の結婚式で牧師の説教を聞いているという伏線があるのではないか。

ウィークエンド Week-End

金曜の夕方,車で郊外に向かうとき、ふたりはほとんど口をきかなかった。うっとりと恋に盲目な(バ)カップルはだんだん雲行きが怪しくなって,とうとう決裂。日曜日の夕方,車でロンドンに向かうとき,ふたりはほとんど口をきかなかった。

幸福の谷 The Happy Valley

幻想を抱えた女性が夢見る夢と現実。二つが混然一体となって自然の美しい描写となっている。

あとがきによれば,『レベッカ』のマンダレーに通じるらしいが,よく覚えていない。

そして手紙は冷たくなった And His Letter Grew Colder

男性側の手紙だけが語る恋の始まりと終わり。その転換点はもちろん…。それからの男の手のひら返しがよくわかる。

笠貝 The Limpet

“いくら他人に尽くしても報われない自分は被害者”と語る自己中ストーカー女の語りは強烈。短編集『鳥』で「あおがい」として読んだけれど,印象がちょっと違う。

深追い 横山秀夫

深追い 横山秀夫

実業之日本社 電子書籍

たまに読みたくなる,オジサンミステリ*

*)オジサンが書いた,オジサンが出てくる,オジサンのためのミステリという,わたし的定義です。オバサンが書いた,オバサンが出てくる,オバサンのためのミステリもあります。「オジミス」「オバミス」とも例外の多い定義なので一般化できません。

市郊外に位置する三ツ鐘署は地続きに官舎があって,刑事だけでなくいろいろな職域の警官や一般職員が住んでいる。職住一体の警察組織の中で息苦しく葛藤する男たちの物語。ミステリ的要素はあるけれど警察官たちの人生に触れる部分が多くて,どれも余韻のある終わり方だ。横山秀夫の警察小説はどれも面白い。しかし,自分の読書記録を見ると小説として読んだのはこれが初めてらしい。今まで全部,テレビドラマで見ただけだった。

「深追い」かつて白バイ乗りだった交通課の巡査秋葉は,死亡事故処理中に見つけたポケベルのメッセージの相手が昔の恋人だと知る。

「引き継ぎ」盗犯係の「泥棒刑事」尾花が追うのは,刑事だった父親から引き継いだ手練れの泥棒だった。

「又聞き」鑑識係の三枝は子供の頃の事故のゆえに海が苦手だが,当時の新聞記事の写真から真相にたどり着く。

「訳あり」警務係長の滝沢が出世コースから外れたのは元上司のせいだった。挽回のチャンスが巡って来たとき自分の出世の替わりに実直な老巡査の再就職を願い出た。

「締め出し」生活安全課の三田村が警察官を目指したのは,中学時代に脅された不良「S」が原因だったかもしれない。

「仕返し」警察署次長の的場は,再婚後遅くにできた息子がイジメにあっていると知った。ホームレス変死事件の隠蔽にかかわるうちに…人生の大事なことに気が付く。

「人ごと」会計係の西脇は園芸に造詣が深い。落としものの園芸店の会員証の調査を引き受けたことで,同好の士と出会う。その老人と三人の娘の確執を目の当たりにして…