壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

わたしの名は赤 上/下 オルハン・パムク

わたしの名は赤 〔新訳版〕 上/下 オルハン・パムク

宮下遼 訳  ハヤカワepi文庫  電子書籍

16世紀末,オスマン帝国支配下イスタンブルで細密画の絵師が殺された。冒頭から,殺されて井戸に投げ込まれた屍が語り手となる。章ごとに次々と語り手が入れ替わり,人間ばかりか動物も木も金貨もしゃべる。犯人だって身元がばれないように喋りまくる。読み始めは異世界にでも転生したのかと,混沌とした筋運びに戸惑うばかりだったが,次第に物語の世界に引き込まれていった。

追われるようにイスタンブルを出て,12年ぶりにイスタンブルに戻ってきた絵師カラの初恋の相手は,従妹で幼馴染のシェキュレだが,彼女は2人の男の子を持つ寡婦になっていた。しかし,戦場から帰ってこない夫の生死は不明で,夫の弟に言い寄られ,シェキュレは子供と共にやむなく父親の家に住んでいた。

細密画師である父親は,皇帝の指示で新しいタイプの書物(細密画)を自宅で編纂していた。伝統的な細密画にはない,陰影や遠近法を取り入れて編纂している書物は,保守的な宮廷の細密画工房では作れなかったのだ。細密画の伝統を守るのか,新しい様式を取り入れるのかという絵師たちの葛藤が,殺人事件の発端だった。

オスマン帝国は全盛期を過ぎて,否応なくヨーロッパの影響を受けつつあった。ヨーロッパとイスラムの相克を細密画の世界で濃厚に語り尽くした小説だった。誰が犯人かというミステリ,カラとシェキュレの恋物語が絶妙に絡んでいるので,中国からインド,ペルシャを経て発展してきた細密画の歴史はあまり理解できなくても,最後まで面白く読み切ることができた。

読み終えて改めてイスタンブルの地図を見た。黒海から地中海へ抜けるボスフォラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡,ヨーロッパとアジアの境の絶妙さに驚く。素人でも地政学云々を言いたくなってしまう。

 

ちょっとネタバレだけど,シェキュレの次男の名前がオルハン。そのオルハンが,この物語を書いたことになっていて…ネタですか? パムクさん。

 

パムクの著作は『イスタンブール』『父のトランク』『白い城』を読んで以来,十年以上たつ。最新の『ペストの夜』は18世紀のオスマン帝国のペスト禍を題材にしているという。読みたいけど上下巻5000円越えで手が出ない。サンタさん,お願い!