壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

無名亭の夜  宮下遼

無名亭の夜  宮下遼

講談社  図書館本

トルコ文学の研究者であり、オルハン・パムクの翻訳者である宮下遼氏の小説2編。翻訳文の読みやすさに惹かれていたので、小説にも興味がわいた。

無名亭の夜

《現代の日本、薄暗い路地にある名もない酒場と、はるか昔の帝国(オスマン帝国)を行き来しながら語られる、少年の物語》という紹介文を頼りに読み始めた。史実をほとんど知らない異国について、時間と空間を往還して語られる断片的なエピソードを読み解くのは大変だが、読み終わったときに霧が晴れて、「なるほど~」と感動を覚えるくらい面白かった。

せっかく読み解いたつもりになったので、ネタバレのメモを作っておこう。せめて反転を入れておこう。

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複雑に入れ替わる語り手と視点に戸惑うが、繰り返し現れる記号(◆、●少年、■彼、)と、たまに出てくる白抜き記号(○、□、◇)が語り手の交代を表していて、その点は分かりやすい。探るように読みすすめるうちに人物像がだんだんに判明する。●少年は地方貴族の三男で、帝国の兵士から文字を習い、詩を詠むようになる。そのあと皇帝の近衛兵となって、さらに出世するのだが、それはもっと後の話。

分かり難いのが◆で、誰?誰?と思いながら読んだ。◆には名称が無く、無名亭の舞台に登場する、店主の従兄弟という異国の語り部かと思うと、15世紀のペルシャにも現れて、人間ではない? 「驢馬」! 本の表紙に納得。

■彼もなかなかの曲者だ。■彼は、新宿辺りの、太っちょの店主がいる名も無き酒場に通う、作家志望の青年だ。彼は語り部の話を聴いているうちに、15世紀の異国の物語に取り込まれていく。■彼の項は、三人称で書かれた「彼」の日記であることが判明し、最後には■僕となって、新たな「僕」の物語を紡ぎ出すことになるようだ。

少年は兵士として、また詩人として成功した後にも、物語の七番目の神秘を追い求め、「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚と知性」の次の七番目の神秘についにたどり着く。それは「」!

作品の構成も凝っている。初夜から終夜までの七夜のあとに、枠線で囲まれた幕間があり、この部分で視野が開けた。そして初夜に戻り、円環が閉じられて新たな物語が生まれる。

オルハン・パムクわたしの名は紅』で、ペルシャの細密画や写本に興味を持ったが、あの装飾された枠線・罫線が物語と現実世界の境界線を成しているという◆(語り部)の言葉が腑に落ちた。本作もまた、■彼の日記が外枠になった、枠物語という構造をもっている。

 

ハキルファキル

上記と同じような構造を持っているが、語り手が三人なので読みやすい。

「私」は、神保町の喫茶店で、友人がイスタンブールの写本図書館で見つけた古い文書を見せられた。16世紀オスマン帝国時代の詩篇と裏の書付だった。それによれば、「兄ハキル」は貧しい荷運び人、「弟ファキル」もやはり貧しい詩人で、兄は文句を言いながらも大詩人を目指す弟を手助けしている。ある時弟ファキルは、有名な詩人バーキーに詩を披露するチャンスがあったのだが、貧しい身分ゆえに侮辱されてしまう・・・。

貧しい詩人のしっぺ返しが痛快だった。

さらに最後に「私」が向かうのが、新宿のなじみの名も無き酒場だ。そこには太っちょの店主がいる・・・という事で、『無名亭の夜』の初めに戻っていくのかな。ここにももう一つの円環があるようだ。