壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

うるさいこの音の全部  高瀬隼子

うるさいこの音の全部  高瀬隼子

文藝春秋  図書館本

『おいしいご飯が食べられますように』で芥川賞を受賞した著者の、実体験を模したような小説『うるさいこの音の全部』。

大手のゲームセンターの社員として働く長井朝陽は、ひそかに書き続けていた小説で新人賞デビューした。ペンネームは早見有日。規定上、職場には報告はしたが、いつの間にか大々的に身バレして、周囲が騒がしくなる。いつもはゲーセンで働く朝陽は、有日としてテレビに出たことで、会社の社内報のコラムを頼まれる。コラムを朝陽として書くのか、有日として書くのか、大きな戸惑いを感じ、すぐには断り切れない。「人に嫌われたくないけど、人に嫌われるようなことを書くのは平気だから不思議だ」と朝陽は思う。

有日の書く小説の主人公の「わたし」は、嫌われそうなキャラだ。朝陽の日常の描写に、早見有日の執筆中の小説が作中作として交互に挟み込まれているのだが、日常と作中作がだんだんと接近していくようで、会社員の朝陽と作家の有日と、作中作の「わたし」の区別がつきにくくなってくる。朝陽自身も一瞬分からなくなるし、読んでいる読者も混乱してしまう。

 

明日、ここは静か』は芥川賞を受賞した後の早見有日。雑誌の取材やインタビューで、自分の事を話さなければならない場面で、つい嘘をついてしまう。体のいい嘘を並べ立てているうちに、出身地の地元でも、事実でないような話が広がってくる。雑誌記者に「嘘っぽい」と言われ、担当編集者にも本音を言って欲しいといわれるが、「わたしは言いたいんじゃなくて書きたいんです」という言葉を早見は飲み込んだ。

 

早見=朝陽と思い込む周囲の人々と同じく、朝陽=高瀬隼子と勘違いする読者もいる。日常を描写する小説の場合、著者の姿が小説に紛れ込こんでいると読者が思うのはやむをえない。作家を売り込むことで作品が売れるという事もあるのだろうが、作家のプライベートを知りたいと思う読者ばかりではない。芥川賞直木賞の作家は顔出しさせられて気の毒な気がする。作品と作家とは別物だと思うけど・・・。