ミシェル・トゥルニエの哲学的小説『フライデーあるいは太平洋の冥界』を漂流・無人島を題材にした小説の締めくくりとして読みました。文明からまったく切り離された未開の自然の中で、何もないところから(またはごくかぎられた道具だけで)文明や社会といったもののミニチュアを作り上げていく過程にこそ、無人島小説の面白さがあります。
すべての無人島小説の原型である『ロビンソン・クルーソー』はもちろんのこと、例えばヴェルヌの『神秘の島』も、あまり知られていないけれど実話が元になった『無人島に生きる十六人』も、勤勉な労働の結果としてもたらされる文明に対する賛歌です。物質文明の行き着く先の未来が明るいものではない事を知ってしまったわれわれ現代人もまた、典型的な無人島小説の中に、[人間の叡智=文明]という幻想を見ることができるのです。
ところが、トゥルニエによって語り直されたロビンソンとフライデーの物語は、[文明>未開]という構図を見事にひっくり返してくれます。無人島に漂着したロビンソンは最初こそ未開の力に身を任せそうになったけれど、自己を鼓舞して島を開拓し、有り余るばかりの食糧を蓄え、一人だけの社会制度までつくりあげます。
そこに現れたフライデーは、旺盛な生命力をもってロビンソンの知識を吸収し、その後継者になるはずだったのに、島の秩序を徹底的に破壊する事件を引き起こします。その後もフライデーは楽しげに遊び呆け、ロビンソンの確固たる価値観がしだいに揺らいでいきます。さて、28年ぶりに船がこの島に立ち寄った時、この二人はどんな行動をとるのでしょうか^^。