壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ロボット・イン・ザ・ホスピタル  デボラ・インストール

ロボット・イン・ザ・ホスピタル  デボラ・インストール

松原葉子 訳  小学館文庫

「タング」のロボット・イン・ザ・ガーデンシリーズ 5作目です。

ロボット・イン・ザ・ガーデン

ロボット・イン・ザ・ハウス

ロボット・イン・ザ・スクール

ロボット・イン・ザ・ファミリー

全部読みましたよ。

イギリスの女性作家が書くこのシリーズ,シリーズ化されて出版されているのは日本だけではないでしょうか。Amazon. UK を探しても,第一作しか見当たりません。第一作は何か国語にも翻訳されていますが,続刊の出版は日本語だけという,不思議なシリーズです。まあ,わからないでもないけれど。

日本では,劇団四季の舞台になり,映画も公開予定とか。コミックも有ります。マッドサイエンティストが作ったAIロボットとして,迷子のようにチャンバース家の庭に現れ,ベンとエイミーの夫婦に育てられたタング。すくすく(?)と成長して,中学校に通うようになりました。ドジな(元)ダメ男のベンの家族や親族,隣人を巻き込んだホームコメディーです。タングはロボットですが,ロボットというよりとても個性的な子供と捉えたほうが理解しやすいと思います。

ストーリーがどこへ向かっているのか,何を意図しているのか,よくわからないのです。ロボットの成長物語というわけでもなく,ダメ男のベンは少しはましになったけれど,相変わらずだし… 女性陣が強すぎます。

やっぱりねえ,こういう物語は長く続けるならマンネリが王道です。一冊を読み通すのには話が長すぎるので,短いエピソードを連ねた連作短編風ならもっと読みやすいかも。サザエさんみたいな感じに,ずっと成長しない可愛いタラちゃんのように,あの可愛いタングのままでいたら…って,皮肉っぽくてごめんなさい,次が出版されたら,また読みますから。

刑事のまなざし/その鏡は嘘をつく/刑事の約束/刑事の怒り  薬丸岳

刑事のまなざし/その鏡は嘘をつく/刑事の約束/刑事の怒り  薬丸岳

刑事夏目信人シリーズ4冊 講談社文庫 Kindle Unlimited

昔見たTVドラマが好印象だった。主演俳優の顔以外,ドラマの詳細はすっかり忘れているので,読みたかった原作4巻を読み放題で一気読みした。扱う事件は現代的なものが多く,夏目の抱える事情が読者に少しずつ明らかになるなど,ストーリー展開に工夫があって飽きなかった。癒しを求めて読み始めたが,癒されないどころか重いものを持たされてしまった。

刑事のまなざし

30歳で少年鑑別所の法務官から警察官に転職した夏目信人は東池袋署の刑事となっている。転職のきっかけは夏目の幼い娘が通り魔に襲われて,何年も意識を失った状態になっていることだった。7編連作短編は少年犯罪に絡むものが多い。夏目は犯人を逮捕するのが最終目的ではなく,加害者,被害者や事件の関係者の心を救う事が最も重要な事と考えている。罪を償うことで犯人の心をも救えると信じたいのだろう。夏目の娘の事件は最後に一応の解決を見るが,その結末は明るくない。

その鏡は嘘をつく

シリーズ唯一の長編。暴行事件,自殺したエリート医師,予備校の講師など無関係と思われていた事柄が次々とつながっていく。始めのうち,志藤という検事,相棒となる女刑事の視点で語られて,夏目がなかなか本領を発揮しないという展開は面白いが,死んだエリート医師のしたことがあまりに不気味で,イヤな気分で読み終えた。大病院の跡継ぎとして生まれ,医者になることを余儀なくされた少年の苦しみが描かれる。今はもう個人病院の継承が親子間に限定される時代ではなくなっているのでは,とも思う。

刑事の約束

5編の連作短編。東池袋署の生活安全係の福地啓子は,強行犯係の刑事夏目と少年の強盗傷害事件を扱うことになった。夏目刑事は精彩を欠いているようで,定時帰宅してやる気が感じられないと福地はいらだつ。いつ夏目の実力に気が付くかという,水戸黄門の葵の御紋的な面白さがある。事件は,無戸籍児童,少年犯罪の裁かれ方と復讐,被疑者死亡の真実,認知症患者の傷害事件と社会派ミステリの題材ではあるが,夏目の解決方法は人情派に近い。表題作「刑事の約束」は第一巻『刑事のまなざし』の「オムライス」の後日談。夏目の娘の意識が戻った。

刑事の怒り

4編の連作短編。 夏目は東池袋署から錦糸署への異動が決まった。異動になる直前に,年金不正受給問題の真相を明らかにした。新しい職場で相棒となった女刑事とのかかわりの中で,レイプ被害者の苦しみ,外国人労働者,老人介護,医療過誤,意識のない患者の死など,答の出ない問題を扱っていく。表題作『刑事の怒り』には第一巻から引きずっている「オムライス」の前田裕馬のことも出てくる。母親にひどい仕打ちを受けて,自身も殺人を犯した者の心を救うことができるのか,娘の絵美のことも含めて,希望を持ち続けようとする夏目が描かれる。これで充分だろう,続編はもう望まない。いくら人気があっても,だらだら続くマンネリミステリに陥らなくてよかった。

電柱鳥類学  三上 修

電柱鳥類学  スズメはどこに止まってる? 

三上 修 岩波科学ライブラリー 電子書籍

散歩に行くたびに見かける電柱と鳥たちが研究対象になっている面白い本です。電線に止まるスズメとカラスの位置関係について深く考えたこともなかったけれど,そういえばカラスはいつも電柱に近い所に止まっています。電柱や電線が登場したのは生物の歴史からしたらほんの最近の事なのに,鳥たちは人間活動に見事に適応しています。全国的な調査を基に,人間と鳥たちが結ぶ共生関係を考えようとしているユニークな分野です。

文章が読みやすく,ちょっとしたダジャレを挟み,電線や電柱にまつわる映画や絵画の話も出てきて,三時間くらいで気楽に読めました。最初に,電柱と電線の詳しい解説があって,役に立ちました。

散歩の途中に撮った解像度の悪い写真です。カラスは見事に電柱の近くに止まっていました。高い所にある電力線(架空電線)三本,低い所の電信線など,散歩するのに,バードウオッチングだけでなく,電柱ウオッチングも楽しめそうです。

電柱や電線が出てくる映画の紹介の中に,「鉄塔 武蔵野線」がなかったのが少々残念です。電柱じゃなくて鉄塔だから取り上げてもらえなかったのかな。

走れ、走って逃げろ  ウーリー・オルレブ

走れ、走って逃げろ ウーリー・オルレブ

母袋夏生 訳 岩波少年文庫 Kindle Unlimited

ワルシャワのゲットーから貨車に乗せられて,多くのユダヤ人が絶滅収容所に送られていた頃のことです。ポーランドユダヤ人の8歳の少年スルリックは,ゲットーから逃げ出し家族とはぐれてしまいます。森の中で暮らし,農村で農作業を手伝いながらも,過酷な放浪を続けます。ユダヤ人であることを隠すために,ユレクと名前を変え,キリスト教徒の祈りを唱え,次第に自分の本当の名前さえ忘れます。でも,別れ際に父さんに言われた「ユダヤ人だという事だけは忘れるな」という言葉は覚えていました。カトリック教会での告解式で「ユダヤ人であることは罪なのだろうか」と悩みます。

農作業で片手を失いましたが,それでも善意ある人々に出会い,前を向いて生き延びようとするユレクの姿が,感情を抑えた表現で描かれています。死と隣り合わせの恐怖をはねのける少年の勇気を感じ,なんとか涙せずに読み終えました。

実在の人物の経験談を基に書かれた物語で,著者のウーリー・オルレブ自身も強制収容所を体験したユダヤ人です。

 

本書は映画「ふたつの名前を持つ少年」の原作として出版されたそうです。本書を読み終わった後すぐに,映画も見ました。少年が冬の森の中で凍えそうな様子を見るのがつらかったです。ポーランドウクライナの隣国です。暖房の無い冬をウクライナの子供たちがどんな風に過ごしているかを考えて心が痛みました。原作にはない言葉が映画にありました。ソ連軍がドイツを追い払ったと終戦を祝うポーランド人達に,隠れ住んでいたユダヤ人の男性が,「ソ連もドイツもそんなに変わらんぞ」と言っています。

 

岩波少年文庫は71歳の私とほぼ同じ歳です。21世紀になる直前に『岩波少年文庫の50年』が出版されています。(『70年のあゆみ』もありました。)

私が小学生の頃は,今ほど自由に本が読める時代ではなかったと思います。学校の図書室は自由には入れる所ではなく,学級文庫にわずかな本が置かれていました。本の虫だった私は,月に一冊だけ岩波の児童書を親に買って貰いましたが,それでは足りずに家にある大人の本も読み漁っていました。娘たちが小学生の頃には,子供のためと称してこの文庫をたくさん大人買いし,子供の頃に読みたかったなという本を大人になってたくさん読みました。今でも新刊が出て,電子書籍でも復刊されています。読みたい本をたくさん見つけました。

その昔、N市では  カシュニッツ

その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選

マリー・ルイーゼ・カシュニッツ   酒寄 進一 訳

東京創元社  電子書籍

シーラッハの翻訳者である酒寄さんの編んだ,新訳による短編集。(酒寄さんの追っかけをしました。)

超常現象や幻想的な奇妙な味のものから,女性の心理を描写するものまで,バラエティに富んだ15編でした。でも怪奇やホラーではなく,その怖さは人間に由来するものです。読んでいるうちにじわじわと不安が広がって,最後までその不安は解消されません。

読み終えて,気持ちが引きずられてしまいますが,そこのところが好みでもあります。重い主題の「ルピナス」,カシュニッツ自身が主人公の「六月半ばの真昼どき」,独居老女が主人公の「いいですよ、わたしの天使」などに惹かれます。

訳者あとがきに,年代順ではない15編の配列に工夫があるというのですが,わかるような,わからないような…後ろの方ほど,幻想的でなくなり現実味を帯びた心理劇になっているような気がします。醒めた視点で語られる女性の心理描写は,アガサ・クリスティを思わせる所がありました。カシュニッツの夫も考古学者だったそうです。

 

多少ネタバレ

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「白熊」  夢枕。ホッキョクグマの首振りはストレス行動。

「ジェニファーの夢」  感受性の強い八歳の少女の夢は母親を困惑させる。少女が未来を見たのか,大人が夢の中に入っていったのか。

「精霊トゥンシュ」  山小屋で起きた殺人。パン生地で作る人形。パン生地の表面って生き物の肌のよう。

「船の話」  間違えた船に乗って旅する妹から来る手紙。幽霊船なのか。

ロック鳥  一人住まいの寡婦の部屋に現れた大きな鳥。

「幽霊」  知り合ったカップルに招かれた屋敷。置き忘れたシガレットケース。

「六月半ばの真昼どき」  自分が死んだ事になっていたカシュニッツ夫人。この世に引き戻したのは娘。

ルピナス  姉と共にユダヤ人専用列車から逃げるはずだったバルバラ。姉の夫と暮らすうち…やるせない最後。

「長い影」  大人になりかけの少女のひと夏の冒険。

「長距離電話」」  電話の会話だけで進行する。最後は愛情なのか復讐なのか。

「その昔、N市では」  3Kのブルーカラーの働き手が不足。代替要員は灰色の者(死者)。そのあとは自動機械がケアワーカーとなった。

「四月」  4月1日に花を贈られた乙女の昼休みの妄想。戻ってみると…浦島太郎は幸せだったのだろうか。

「見知らぬ土地」  かつて敵だった兵士との緊迫した時間

「いいですよ、わたしの天使」  間借り人に乗っ取られていくおひとり様の老女。家族が欲しかった。
先日のネット記事「独居高齢者の三割超が正月三ガ日を一人で過ごした」とあった。

「人間という謎」 承認欲求の塊のような女は,現実には家族に囲まれ幸せそうだった。

シネマコンプレックス 畑野智美

シネマコンプレックス 畑野智美

光文社文庫  電子書籍

東京近郊の地方都市にあるシネコンで働く人々を描く連作7編。描かれるのはあるクリスマスイブの一日の出来事で,各編の語り手がそれぞれ違う持ち場で働く7人です。アルバイトやパートがたくさん働くシネコンという職場の様子が詳しく書き込まれていて,仕事の喜びや苦労がよく伝わってきました。また,視点が違うと人物評価がガラッと変わってしまう面白さも味わいました。嫌味な上司と思う人もいれば,思いやりのある上司と考える人もいます。

五年前にシネコンで「何か」があったという噂話が,全編を通して謎を引っ張っていきます。そして,仕事ばかりでなくそれぞれの語り手の人生にもそっと踏み込んでいて,彼らの明日を思い遣る気持ちになりました。

著者の「あとがき」に,“シネコンで一年半,アルバイトのオープニングスタッフとして働いた経験をこの小説に詰め込んだ”とありました。仕事の日常がリアルに伝わってきたことに納得しました。

翌年にシネコンが全館改装されて券売所が券売機に変わりフィルムがデジタル化され,シネコンの仕事は大きく変わることが予告され,主人公たちの人間関係も変わりそう……という所で終わりました。

 

コロナ禍で映画館も大きく変わったのではないでしょうか。私が映画を最後に見たのは,2020年の冬,コロナが中国で騒がれ始めたころです。流行が日本に来たら映画に行けなくなるのでは?とカンヌで評判になった『パラサイト』を急いで見に行きました(シネコンではなく単館でしたが)。

あれ以来,映画館には足を運んでいません。見たい映画も少し経てば動画配信されるような時代になってしまいました。でもやはり大画面で見たいFSXがあります。小説で読んで音楽を聴きたかった『蜜蜂と遠雷』の大音量の音楽にカタルシスを感じました。GO TO CINEMA というような支援はないのかしらね。私はシニア割引で充分に安いのだけれど。

わたしの名は赤 上/下 オルハン・パムク

わたしの名は赤 〔新訳版〕 上/下 オルハン・パムク

宮下遼 訳  ハヤカワepi文庫  電子書籍

16世紀末,オスマン帝国支配下イスタンブルで細密画の絵師が殺された。冒頭から,殺されて井戸に投げ込まれた屍が語り手となる。章ごとに次々と語り手が入れ替わり,人間ばかりか動物も木も金貨もしゃべる。犯人だって身元がばれないように喋りまくる。読み始めは異世界にでも転生したのかと,混沌とした筋運びに戸惑うばかりだったが,次第に物語の世界に引き込まれていった。

追われるようにイスタンブルを出て,12年ぶりにイスタンブルに戻ってきた絵師カラの初恋の相手は,従妹で幼馴染のシェキュレだが,彼女は2人の男の子を持つ寡婦になっていた。しかし,戦場から帰ってこない夫の生死は不明で,夫の弟に言い寄られ,シェキュレは子供と共にやむなく父親の家に住んでいた。

細密画師である父親は,皇帝の指示で新しいタイプの書物(細密画)を自宅で編纂していた。伝統的な細密画にはない,陰影や遠近法を取り入れて編纂している書物は,保守的な宮廷の細密画工房では作れなかったのだ。細密画の伝統を守るのか,新しい様式を取り入れるのかという絵師たちの葛藤が,殺人事件の発端だった。

オスマン帝国は全盛期を過ぎて,否応なくヨーロッパの影響を受けつつあった。ヨーロッパとイスラムの相克を細密画の世界で濃厚に語り尽くした小説だった。誰が犯人かというミステリ,カラとシェキュレの恋物語が絶妙に絡んでいるので,中国からインド,ペルシャを経て発展してきた細密画の歴史はあまり理解できなくても,最後まで面白く読み切ることができた。

読み終えて改めてイスタンブルの地図を見た。黒海から地中海へ抜けるボスフォラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡,ヨーロッパとアジアの境の絶妙さに驚く。素人でも地政学云々を言いたくなってしまう。

 

ちょっとネタバレだけど,シェキュレの次男の名前がオルハン。そのオルハンが,この物語を書いたことになっていて…ネタですか? パムクさん。

 

パムクの著作は『イスタンブール』『父のトランク』『白い城』を読んで以来,十年以上たつ。最新の『ペストの夜』は18世紀のオスマン帝国のペスト禍を題材にしているという。読みたいけど上下巻5000円越えで手が出ない。サンタさん,お願い!