その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選
マリー・ルイーゼ・カシュニッツ 酒寄 進一 訳
シーラッハの翻訳者である酒寄さんの編んだ,新訳による短編集。(酒寄さんの追っかけをしました。)
超常現象や幻想的な奇妙な味のものから,女性の心理を描写するものまで,バラエティに富んだ15編でした。でも怪奇やホラーではなく,その怖さは人間に由来するものです。読んでいるうちにじわじわと不安が広がって,最後までその不安は解消されません。
読み終えて,気持ちが引きずられてしまいますが,そこのところが好みでもあります。重い主題の「ルピナス」,カシュニッツ自身が主人公の「六月半ばの真昼どき」,独居老女が主人公の「いいですよ、わたしの天使」などに惹かれます。
訳者あとがきに,年代順ではない15編の配列に工夫があるというのですが,わかるような,わからないような…後ろの方ほど,幻想的でなくなり現実味を帯びた心理劇になっているような気がします。醒めた視点で語られる女性の心理描写は,アガサ・クリスティを思わせる所がありました。カシュニッツの夫も考古学者だったそうです。
多少ネタバレ
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「白熊」 夢枕。ホッキョクグマの首振りはストレス行動。
「ジェニファーの夢」 感受性の強い八歳の少女の夢は母親を困惑させる。少女が未来を見たのか,大人が夢の中に入っていったのか。
「精霊トゥンシュ」 山小屋で起きた殺人。パン生地で作る人形。パン生地の表面って生き物の肌のよう。
「船の話」 間違えた船に乗って旅する妹から来る手紙。幽霊船なのか。
「幽霊」 知り合ったカップルに招かれた屋敷。置き忘れたシガレットケース。
「六月半ばの真昼どき」 自分が死んだ事になっていたカシュニッツ夫人。この世に引き戻したのは娘。
「ルピナス」 姉と共にユダヤ人専用列車から逃げるはずだったバルバラ。姉の夫と暮らすうち…やるせない最後。
「長い影」 大人になりかけの少女のひと夏の冒険。
「長距離電話」」 電話の会話だけで進行する。最後は愛情なのか復讐なのか。
「その昔、N市では」 3Kのブルーカラーの働き手が不足。代替要員は灰色の者(死者)。そのあとは自動機械がケアワーカーとなった。
「四月」 4月1日に花を贈られた乙女の昼休みの妄想。戻ってみると…浦島太郎は幸せだったのだろうか。
「見知らぬ土地」 かつて敵だった兵士との緊迫した時間
「いいですよ、わたしの天使」 間借り人に乗っ取られていくおひとり様の老女。家族が欲しかった。
先日のネット記事「独居高齢者の三割超が正月三ガ日を一人で過ごした」とあった。
「人間という謎」 承認欲求の塊のような女は,現実には家族に囲まれ幸せそうだった。