壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ポロック生命体  瀬名秀明

ポロック生命体  瀬名秀明

新潮文庫  電子書籍

瀬名さんのSFは宇宙でも異世界でもなく,私たちの現実の隣にある,少し未来の話です。科学者らしい合理的な考察の向こうにあるのはゴリゴリのハードなSFではなくて,科学技術の進歩を私たちがどんな風に受け入れていくのかをソフトに描いたものです。AI(人工知能)に凌駕されたとき,人間がどんな風に葛藤するかを描いた4つの短編です。

AIは産業分野では当たり前に使われているとしても,私たち一般人がよく目にするのは,将棋でのAIと名人の対決,絵を描くAI,作曲するAIなど芸術分野での人間とAIとの関わり合いの話題です。創作するAIとして,テキストを画像にするT2Iが先日ニュースになっていました。芸術なのか,贋作なのか,盗作なのか,著作権はどこにあるのか。科学技術の進歩と共に,私たちの価値観や規範が変わっていく,変えていかなければならない,のだと思わせてくれる作品でした。

 

負ける」:将棋の名人に勝つAIの開発の先にあるのは,美しく投了できるAIだった。盤面で駒を指すアームロボットの姿の美しさもまた開発の目的だった。

144C」:新人の編集者が読む小説はAIと人間が共同して書いたものだった。小説の本質とは何かという命題。ここに出てくる短編公募新人賞にはAIが書いた小説の応募が可能という設定だ。
瀬名さんが設立にかかわった星新一賞はまさにこれにあたる。ここに出てくる作家は瀬名さん自身を思わせる。故郷の高校を舞台にした青春恋愛小説とやらは『この青い空で君をつつもう』に酷似している。(故郷の高校って同じ市内!)

きみに読む物語」:小説の分かりやすさと読み手の読解力を数値化したSQがWEB上で簡単に計算されるようになって,書籍界は大騒ぎとなる。売れるとかわかりやすいとかいう評価の外に物語があるのだろう。「きみ」は誰?学習途中のAI? ここでも著者の分身のような作家が登場している。

ポロック生命体」:「ポロック」という名のAIは,亡き著名な画家の作品を学習して,それを越えた作品を創造した。さらに亡くなった小説家の新作を発表する。どちらも本物以上に優れた「生命力」を持った作品だった。このAIをオープンソースにしたとき,世界はどのように変わっていくのだろうか。

みんなが手話で話した島 ノーラ・エレン・グロース

みんなが手話で話した島 ノーラ・エレン・グロース

佐野正信 訳 ハヤカワ文庫NF 電子書籍

ニューヨーク・ロングアイランドの東,ボストンの南にあるマーサズ・ヴィンヤード島には,20世紀の初めまで,多くの聾者が住んでいました。ヴィンヤード島の人々は健聴者も聾者も手話を使って分け隔てなく暮らしていて,聾を障害(ハンディキャップ)とみなしていなかったそうです。この島の聾者たちが社会的な不利益(ハンディキャップ)を負わされてはいなかったという事です。

著者で人類学者のノーラ・エレン・グロースは,島の古老たちへの丁寧なインタヴューと多数の文書記録を通して,イングランドからの初期の移民がもたらした遺伝的な聾が婚姻を通じて小さな島の集団に広がっていったことを社会学的な手法で詳細に明らかにしています。

さらに,島で暮らしていた聾者たちの日常を生き生きと再現しています。ヴィンヤード島では,200年以上にわたり健聴者が手話を覚え、日常生活で使っていました。島の健聴の子供たちは、英語と手話という2つの言語をつかうバイリンガルとして育ったそうです。聾が障害とならない共同体では,婚姻も職業も収入も健聴者と聾者の間に差がなく,19世紀にアメリカ本土に聾学校ができてからは,その学校に寄宿していた子の方がかえって教育水準が高かったといいます。

“障害のある人にとっての困難は、必ずしも心身機能そのものに由来するだけでなく、障害のある人のことを考慮していない社会のしくみや環境によってももたらされている”という事から障害とはなにか,共生とはなにかを深く考えさせてくれる本でした。

15年以上もまえに読んだオリバー・サックス手話の世界へ』の中にこの本への言及があったことを思い出し,確認しました。(佐野正信という同じ訳者で,このかたも当事者のようです。)『手話の世界へ』を読み返そうとしましたが,字が小さすぎてギブアップしました。

 

で……手話の事を検索していたら,今評判の「Silent」というフジテレビのドラマに行き当たり,見逃し配信で全部見て😢。ちょっと古めかしい感じの恋愛ドラマで,冬ソナファンのおばちゃん(今や,ばあちゃん)たちに評判がいいのもわかるわ~。手話ができないとき筆談の代わりに,スマホのSpeech to Textを使っていて便利!と思ったけれど,これは健聴者の一方的な便利さですね。

同期/欠落/変幻   今野敏

同期/欠落/変幻   今野敏

講談社文庫 電子書籍

竜崎というキャラクターを作り上げた『隠蔽捜査』は確かに面白かった。それでもシリーズ後半は飽きたので読んでいない。ミステリのシリーズ物はそのマンネリズムをどこまで続けられるのか,作者も苦労すると思う。

同じ著者の「同期」シリーズは今の所3冊まで出ている。一作目『同期』の電子書籍が一年前に¥96で投げ売りされていたので買っておいた。最近,二作目『欠落』と三作目『変幻』がともに50%OFFになっていたのでまとめて一気読みした。

シリーズ物だから当たり前かもしれないが,三冊の区別がつかないくらい同じようなストーリーでびっくりした。殺人事件と絡んだ,公安や組対の諜報活動や暴力団絡みの案件で,警察内部の縦割り組織に抵抗して,いささか向こう見ずな若手刑事の宇田川が,同期や先輩の刑事と力を合わせて事件を解決していくというような,若い刑事の成長物語なのだろう。

警察組織や階級の詳しいことにはあまり興味が持てず,公安絡みの外交事案,隣の国の諜報活動,外国の麻薬組織の暗躍なども,刑事たちの活躍の添え物に思えてしまう。ストーリー展開が冗長で何度も同じ話を説明されるので,とても親切で分かりやすい(笑)。

 

読んだ端から忘れそうな内容を書き留めたいがすでにあまり思い出せない。

『同期』 32歳の宇田川は捜査一課の新米刑事。公安に居たはずの入庁同期の蘇我が,懲戒免職され行方が知れなくなった。殺人事件を捜査しているうちに右翼の大物にたどり着いたり,警察のお偉いさんが物分かりよかったり,都合のよい展開だった。外交関連で不正に儲けている役人たちに行きついた。

『欠落』宇田川の同期の大石陽子は特殊班に配属されるが,身代わりの人質として連絡が取れなくなってしまった。拐帯犯を逃がそうとする動きさえある。若い女性の連続殺人とどう関連するのか? 蘇我から連絡があって,事件の全体像が見えてくる。日本の諜報活動って…。蘇我は地下に潜ったらしいが,たまにみんなとご飯を食べたりして,だいじょうぶなの?

『変幻』今度は大石が暴力団フロント企業に潜入捜査らしい。麻取(麻薬取締)が出てきて威張り散らすが,宇田川は取締官に食ってかかり,上司もそれを応援するという,うれしい展開。

刑罰 フェルディナント・フォン・シーラッハ

刑罰 フェルディナント・フォン・シーラッハ

酒寄進一訳 創元推理文庫 電子書籍

犯罪』『罪悪』に続く,12編の短編。『犯罪』は罪を犯さざるを得なかった被告人たちの哀しみが描かれた感動作,『罪悪』は描く観点が全く異なり居心地の悪い感じで読み終えた。本作『刑罰』は法では裁くことのできない人間の闇が描かれている。ミステリとして読むことはできない。読み終えても疑問が増すばかりで,この世の不条理に直面して戸惑うばかりだ。

事実だけを淡々と積み上げて人物の内面の感情を語らない手法は,読者をして,登場人物の内面に深く踏み込ませる。ごく短い短編なのに,登場人物の半生を察して,なんでこんなに感情を揺さぶられるのだろうか。

 

下にメモを取ってみたが,書いてみたら面白くなくなってしまって残念。

「参審員」裁判員として初めて法廷に接したカタリーナの苦悩。こんな悲惨な事件でも,任期のある参審員はどうしようもないのか。

「逆さ」自分が弁護して無罪にした男が再び罪を犯し,酒浸りになった弁護士が扱う殺人事件。夫殺しの妻は無実なのか。意外な証拠が明らかになる。

「青く晴れた日」乳児殺しの罪で服役し,夫殺しで無罪となった母親の真実。罪なき罰と罰なき罪。

「リュディア」離婚して寂しい男が買ったラブドールを辱めた隣人への復讐はどう裁かれるのか。

「隣人」隣人の妻に亡き妻の面影をみた初老の男が,ふと犯した罪はどう裁かれるのか。

「小男」飲酒運転と自動車事故と麻薬所持を犯した男が一事不再理によってどう裁かれたのか。

「ダイバー」自殺した夫の性癖を恥じて,事実を隠した妻の罪は何なのか。復活祭の次の日に妻は救われたのだろうか。

「臭い魚」少年たちの肝試しの対象になった老人への暴力。起訴されなかった少年たちは,どういう思いを抱えて成長したのだろうか。

「湖畔邸」祖父との思い出の残る屋敷で穏やかに余生を送るはずだった男の罪は,法で裁かれなかったが

「奉仕活動」トルコ移民の娘セイマは弁護士となって初めての公判で弁護することになったのは,女性の敵というべき悪人。罪が法で裁けないことの,彼女のやるせなさと職務に対する覚悟がよく伝わってくる。

「テニス」夫の不実を知った妻。真珠の首飾りの女には,罪も罰もないのか。

「友人」少年時代の親友は成功者だったが,あるとき薬物依存で身を持ち崩した。愛する妻の死の遠因が自分にあると,罪は犯していないが自分自身を罰する悔恨の日々は死ぬまで終わらない。

 

シーラッハは5冊目になる。『テロ』が読みたいが文庫本がでたら読もう。

まるまるの毬 / 亥子ころころ  西條奈加

まるまるの毬 / 亥子ころころ 西條奈加

講談社文庫  電子書籍

読むだけで血糖値が上がりそうな,人情時代物の連作7編です。『まるまるの毬』はじめ,章の名前はすべてお菓子の名前で,どれも食べてみた~い。

和菓子職人の治兵衛と娘お永,孫娘お君が営む麹町の南星屋は,諸国のお菓子を日替わりで商う人気の菓子屋です。治兵衛の出自の秘密は初めの方で簡単に明かされるのですが,それがのちに騒動を引き起こします。とはいえ,家族が互いに思い合って,ほろりとさせられる話ばかりです。お君ちゃんは気の毒だったけれど,立ち直ったみたいだね。

安くて,甘々で,後味のよい,南星屋のお菓子みたいな小説で,ちょっとした塩味も,渋味も,菓子の甘さを際立たせるための隠し味でした。

 

読み終えていい気分のままおはぎを買いに行き,食べながら続編『亥子ころころ』を読み始めました。

治兵衛が左手を怪我して困っているところに,行き倒れとなった菓子職人が現われます。なんと,都合のいい展開でしょう。この雲平という職人の腕がよくて人柄も男ぶりもいいので,南星屋にも動きがあります。雲平が探している弟弟子の亥之吉はどこへ行ってしまったのか?というのがメインテーマですが,次から次へ出てくるおいしそうなお菓子のほうが気にかかります。最後も丸く収まって,めでたしめでたし。まだ続編があるらしく,お君ちゃんにもいい人が現われるかな。

 

西條さんの直木賞受賞作の『心淋し川』を読もうと思ったけれど,図書館の予約が3桁なのであきらめたのが去年。その代わりに読んだ『猫の傀儡』『涅槃の雪』も50%OFFの電子書籍でした。今度の『まるまるの毬』も半額。図書館に行かなくなって,安い電子書籍ばかりを漁っています。だから『心淋し川』には未だにたどり着けない。

歩道橋の魔術師  呉明益

歩道橋の魔術師  呉明益

河出文庫 電子書籍

台北市にかつてあった1980年代の中華商場を,かつてそこに住んでいた子供たちの記憶がたどる,不思議な物語です。

子供時代の記憶は,一部分だけは鮮明で強烈な印象がありますが,それを取り囲む状況などのまわりの部分は曖昧で,鮮明な記憶を取り出そうと手を伸ばすと脆くも崩れ去ってしまうもののようです。記憶と記憶を繋ぎ止め合間を埋めていくのは,後から語られる“語り”なのでしょう。それぞれの語り手の語りの大部分は個人的なもので,記憶の間を埋める言葉は,現実を突き抜けてもっと濃厚な幻想の世界に踏み込んでいきます。その幻想の世界への入り口が,歩道橋の上でマジックをしていた「魔術師」です。

11章からなる連作短編の語り手が,それぞれに違う子供たちなのかどうかよくわかりません。兄弟や友だちや知り合いのようですが,中華商場で店を営む親たちの商売がかろうじてわかる一人称の「ぼく」が,綽名でよばれる子供たちの誰にあたるのか,すぐにはわからないように描かれていて,うっかりしていると同一人物のように感じてしまいます。

ひとりひとりの子供たちの記憶は曖昧で欠落部分が多く,中華商場の全体像はつかめません。しかし何人もの子供たちの話を重ね合わせると,かつて皆が暮らしていた懐かしい中華商場の情景が立ち上がってきます。台湾に行ったことのない読者にも,人いきれの暑苦しさと痛みと喜びと,さまざまな感情と共に,見たこともない風景に対する懐かしさが理解できるのです。

 

文庫になるのを待って読んだ,はじめての台湾文学です。台湾には行ったこともありません。読み終えて,やはり中華商場の風景を知りたくなりました。思い描いていたよりもずっと規模が大きなショッピングモールでしたが,アジア的な濃厚さのみなぎる所でした。失われた場所はなぜか懐かしい。

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カラスの親指 / カエルの小指 道尾秀介

カラスの親指 道尾秀介

カエルの小指 道尾秀介

講談社文庫 電子書籍

続編の『カエルの小指』を読もうとしたのに,『カラスの親指』を読んだ記録がない。変だな,記憶はあるのに…阿部寛の顔がちらつく…という事は映画を見たのでした。面白かったことは覚えていますが,かなり前の事であらすじも定かでなく,まずは『カラスの親指』の原作を読み始めました。

映画の配役のイメージのまま,だんだん思い出しましたが,なんか違う。こんな最後だったの?? それとも私の記憶違い?? モヤモヤしたまま読み終わりました。

どうしても気になって原作と映画の違いを検索したら… そういう事ね! 原作では,カラスの親指は「タケさん」じゃなくて「テツさん」だったのです。続編を読むのなら,映画だけでなく小説も読むべし!

 

『カエルの小指』は十数年後の話。共同生活を送った仲間(タケさん,まひろ,やひろ,貫太郎)に新メンバーの中学生のキョウと小学生のテツが加わっています。あれから実演販売員として真面目に働いているタケさんの前に突然現れたキョウのために,タケさんは昔の仕事に戻ることに決意します。前作同様,コンゲームとしての面白さもあり,どんでん返しにも充分に騙されましたし,心の傷を抱えた人たちがお互いを思いやって生きていく様子にも心温まりました。 彼らの未来も気になります。