壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

戦争は女の顔をしていない スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ

戦争は女の顔をしていない  スヴェトラーナ アレクシエーヴィチ

三浦 みどり訳  岩波現代文庫 電子書籍

第二次大戦に従軍したロシアの女性たちの証言録。“証言文学”というそうだ。名もなき女性たちの生の声を紡いでいくことで,その時代を鮮明に描いている。500人に及ぶその女性たちの「声」は涙なしには読めなかった。10代後半から20代前半の女たちの従軍のきっかけは徴集よりも志願だったが,差別的な周囲の目を恐れて,過酷な戦場での経験を戦後にも語らなかったという。

男たちが語りたがるのは戦争の事実で,時として美化された記憶かもしれない。スヴェトラーナ アレクシエーヴィチが丹念に聞き出して,女たちがやっとのことで語るのは,その時にどう思ったのかという真実の感情なのだ。女たちの感情の記憶の集合体が戦争の全体像を立ち上がらせてくれるが,同時に戦争に直面した人間の得体のしれない部分を感じて,混沌とした思いに引きずり込まれるようだった。

端切れをつなぎ合わせてできるパッチワークのように全体の模様が見えてくるけれども,ずっと見つめているうちに何の模様だかわからなくなってしまう,そんな感じがした。

 

スヴェトラーナ アレクシエーヴィチは,ノーベル文学賞を受賞するまで聞いたことがない作家だった。「チェルノブイリの祈り」はすぐに読んだが,ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに思い出したのが「戦争は女の顔をしていない」だった。読み始めてから,数か月間本を読めない時期があったのだが,再開して一気に読了した。

コリーニ事件  フェルディナント・フォン・シーラッハ

コリーニ事件  フェルディナント・フォン・シーラッハ

創元推理文庫  電子書籍

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短編集を二冊読んで,やっとシーラッハの第三作『コリーニ事件』にたどり着いた。長さから言えば長編というより中編だが,中身がずっしりと重い大作だった。 

新米弁護士のライネンが初めて引き受けた国選弁護の殺人事件の被害者が,実は家族のように親しかった高齢の人物だった。それを知って加害者であるイタリア人コリーニの弁護に葛藤するライネンが,弁護士としての覚悟を持って殺人の真の動機を明らかにしていく。感情を極力抑えたシーラッハの表現が見事だった。

80代の被害者は経済界の重鎮で60代の加害者は元労働者だから,戦時中に何らかの接点があったことは容易に想像がつくのだが, 明らかにされた真実はやはり驚くべきものだ。

ナチス戦争犯罪を扱う小説はいくつか読んだが,ドイツ人の側から書かれたものは少なかった。あとがきにあったようにシーラッハの祖父が戦争犯罪者であったという事実が作品に強く影響しているのだろう,被害者の孫でライネンの幼馴染でもあるヨハンの苦悩の言葉が印象に残った。また加害者であるコリーニは黙秘を続けていてその人物像はなかなか見えてこないのだが,唐突に終わった法廷劇の最後に残したライネン宛の手紙が,残忍な殺人を犯したコリーニの心情を物語り,その哀しみが深い感情を誘った。

 

訳者あとがきには,この小説がきっかけとなってナチス時代の犯罪の共犯の時効の問題が再検討されることになったとある。過去の戦争責任を封印しようとする国に生まれて恥じる所がある。

気を取り直して,映画『コリーニ事件』が原作とどう違うのか,記憶が新たなうちに見ておこう。

居場所もなかった  笙野頼子

居場所もなかった  笙野頼子

講談社文庫  電子書籍

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10年以上も前に笙野頼子の作品を何冊かまとめて読んだことがある。自分自身の居場所のなさ・寄る辺なさを私小説風の妄想を駆使して描く『なにもしていない』(1991年),『東京妖怪浮遊』(1998年),『S倉迷妄通信』(2002年)を読んだのだが,この『居場所もなかった』(1992)がその間をつないでいた。

長年住んでいたオートロック付きの1Kマンションを出ざるを得ず,次に住む部屋が見つからないという騒動の上に描かれるのは自分自身の居場所のなさだ。女性で単身で自営業(小説家)というハンディは不動産ワールドでは相当に不利なんだろう,世間の理不尽さと住む場所が無いという焦燥感には身につまされる。

作者は八王子→小平→中野→雑司ヶ谷→佐倉と,東京を東進しながら不安感と疎外感を抱えて,ひたすら妄想し続けた。S倉で猫と共に暮らすうちに居場所ができたのかなとも思うが,『水晶内制度』の強烈さに打ちのめされて「だいにっぽん」シリーズ?はいまだに読めない。

椿宿の辺りに  梨木果歩

椿宿の辺りに  梨木果歩

朝日新聞出版  電子書籍

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未読である『f植物園の巣穴』の後日譚だという事は承知していたが,とりあえず読んだ。

現代人の異界の冒険譚といえばいいだろうか。冒険とはいっても大冒険ではなく,ちょっとした旅なのだが。化粧品会社の研究員である佐田山彦はネガティブで消極的な性格だが,自分の身体の痛みを通してあるきっかけで積極的な行動に出るようになった。鍼灸院の霊能者らしき亀子を伴って,今まで行ったこともない祖先の住んでいた土地――椿宿――に向かい,いろいろな不思議に出会って,祖先の謎の部分を知り,身体の痛みも薄らいでいく。

とりとめもなくどこに進むかわからない話なのだが,日常が非日常に滑り込んで,不思議で可笑しいので読み飽きない。古事記の世界に踏み込み,過去の自然災害と現代の環境整備の問題までつながっていく。屋敷の屋根裏にあったという「植物園の巣穴に入りて」という文書が出てきて,やはり『f植物園の巣穴』を先に読んでおくべきだったのかと思う。

罪悪  フェルディナント・フォン・シーラッハ

罪悪 フェルディナント・フォン・シーラッハ

酒寄進一訳 創元推理文庫 電子書籍

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第一短編集『犯罪』に続く短編集。『犯罪』は罪を犯さざるを得なかった被告人たちの哀しみが描かれた感動作が多かったが,同じようなものを求めていた第二短編集への予想は見事に裏切られた。現実の犯罪記録を装いながら展開するフィクションで,読んでいるうちにノンフィクションであるかのように勘違いしてしまう点だけは同じだったし,町に起きた同じような犯罪を扱ってはいるが,前作とは描く観点が違うのだ。居心地の悪い感じで読みながら,読み終えても納得がいかず置いてきぼりにされた気分だった。悲惨な犯罪を笑うわけにもいかないが,その犯人と事件と裁きの結果に何か可笑しみのようなものを覚えて,いっそう戸惑った。最後の短編「秘密」だけはスッキリと笑えて気持ちの切り替えができて良かった。次は『コリーニ事件』を読もう。

 

「ふるさと祭り」での少女に対する集団暴行事件の救いのない終わり方に腹をたてつつ戸惑う。未成年の時に起こした迷宮入りの事件が「遺伝子」分析により20年たって犯人たちを追いつめた救いのない最後をどうかんがえていいものやら。寄宿学校で少年たちがかぶれた秘密結社イルミナティごっこの意外な結末。「子どもたち」に対する児童虐待で冤罪のまま刑を終えた男の未来。「解剖学」を学んで猟奇雑人を計画する男の誤算。不自然な夫婦関係を続けたのちに「間男」に突然の殺意を持つ男の裁かれ方。アタッシュケースの中の死体写真では罪に問えないが。裕福に暮らす主婦の抑えきれない万引きの「欲求」。麻薬密売に部屋を貸していた老人と密売人と恋人のその後を描く「雪」。大事な「鍵」を犬に飲み込まれてしまった男の悲喜劇。14歳の少女の受けた暴力とその後を描く「寂しさ」。無実の男を拘束した「司法当局」の杜撰。夫のDVに耐えかねた女の清算は正当防衛なのか。成功した実業家は「家族」に犯罪者がいた。陰謀に取りつかれた男の「秘密」

コンビニ人間  村田沙耶香

コンビニ人間  村田沙耶香

文春文庫  大活字本(埼玉福祉会)図書館本

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もう何年も読もうと思っていた本をやっと読んだ。受賞後の図書館予約の長い列に並ぶ気になれずに忘れていたが,読みやすい大活字本を見つけ一晩で読み終えた。予想以上に面白かった。面白かったというより軽い衝撃を受けたというべきか。

 

コンビニバイト歴18年の古倉恵子さんは36歳でコンビニが生活のすべてといってもいい。コンビニの中――マニュアルのある世界――では,自分が社会という正常な世界から排除される「異物」ではないと感じられるのだ。子供の頃から「普通」ではない恵子は妹から「いつになったら治るの?」などと言われる。白羽というダメ男と形式的に同棲することで追及の手を逃れられるかと考えコンビニバイトを辞めたが…

 

自分の外の世界――世間とかいう「普通」――に対する違和感は,多かれ少なかれ誰もが持っているのではないか。みんな一生懸命になって「普通」にふるまっているのではないのだろうかと思うのだ。もともとずっと「普通」に生きている人もいるのだろう。ただ他人のことはよくわからない。私は「自分が「異物」かもしれない」と思う場面は70年生きてきた中でたびたびあった。私はたぶん「あちら側」に近い所にいるのかもしれない。アニメ「平成狸合戦ぽんぽこ」で狸たちが栄養ドリンクを飲んで人間に化け続けるように,私も体力がないと「普通の人間」に化けていられない。歳をとって,そろそろ化けの皮がはがれそうですわ。

日曜日たち  吉田修一

日曜日たち 吉田修一

講談社文庫  大活字本(埼玉福祉会)図書館本

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図書館で「大活字本」を借りた。なかなか快適。老眼が進んで文庫本を読むのがつらくなったが,電子書籍は図書館で借りられないので書籍費がかさむし,活字は大きくできるがKindle端末は画面が小さいので快適な読書環境とは言えない。電子書籍をPCの大きいディスプレィで読むことも多い。

大活字本はいろいろあるが,この本は文庫本が底本で, A6→A5,ページ数224→333だから,拡大率はおよそ3倍になるのだろうか,見開きの紙の本の快適さも手伝って一時間余りで読み終えた。音訳図書と違って,大活字本は誰でも借りられるので便利だが,残念ながら大活字本には海外文学の翻訳物はほぼ皆無で,読みたいと思える本がなかなか見つからない。

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都会に暮らす男女の人生を切り取って描く,連作短編集が素晴らしかった。

「日曜日のエレベーター」毎週深夜にゴミ出しが習慣になった30歳の無職の渡辺は,週末にいつも見送っていた恋人の圭子を思い出していた。

「日曜日の被害者」短大時代の友人千景が強盗にあったという話を聞いた一人暮らしの夏生は,突然にいわれのない不安に駆られて日曜日の深夜にタクシーで恋人の佐々木の部屋に駆けこんだ。

「日曜日の新郎たち」親戚の結婚式で上京してきた父親とは高校卒業後から疎遠だった健吾は,身近な人を失った同志として改めて父親との距離が縮まったように感じた。

「日曜日の運勢」流されるままに転々としながら付き合う女に逃げられてしまう女運の悪い田端だが,今度の同棲相手にはサンパウロに誘われた。

「日曜日たち」同棲相手のDVを我慢し続けた乃里子がやっとの思いでたどり着いた支援センターで自分の居場所を見つけた。

各編をつなぐのが過去に出会った家出をしてきたであろう幼い兄弟の存在だ。食べ物を分けてあげ,行方のわからない母親を探したりと,小さな出来事が繋がって最後に深い感動を貰った。