壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

笙野頼子三冠小説集

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笙野頼子三冠小説集  
笙野頼子 河出文庫 2007年 680円

1994年 『タイムスリップ・コンビナート』  第111回芥川賞
1994年 『二百回忌』  第7回三島由紀夫賞
1991年 『なにもしてない』  第13回野間文芸新人賞

この三つを詰め込んだ三色特盛弁当みたいな文庫です。

『タイムスリップ・コンビナート』 
マグロだか誰だかわからない人間から電話がかかってきて、海芝浦という駅に行くことになってしまった。電車に乗っているうちに、意識は幼いころ過ごした四日市や、沖縄の海岸か会館に向かって流れ出し、現実から逸脱していく。既視感とは、過去の文脈の中でとらえる現実。私小説のような白日夢。

「東京妖怪浮遊」で、文体や言葉のリズム、意識の流れが、ひどく性に合うことがわかりました。このわけのわからなさ、ひたすら妄想し続けることで何かが見えてくる感じか好きです。

『二百年忌』
故郷のカニデシで行われる「二百回忌」に出席するために、赤い喪服を用意して出かけようとした時から、すでに時間と空間が捩れていった。生者ばかりか、蘇った祖先も参列する二百回忌は、全財産をかけて行われるばかばかしい常軌を逸した無礼講。

この荒唐無稽さは、たまらなく魅力的です。心情的に共感できるリアルな部分も多いのですが、「熊の木本線」に乗って「ママ・グランデの葬儀」に出かけたような気もしました。

『なにもしていない』
ひきこもって医者にも行かずに接触性湿疹をこじらせてしまう顛末が執拗にえがかれる。自分が「ナニモシテイナイ」こと、社会的な居場所がないという自意識が、ひたすら湿疹という身体に向かう。

伊勢に帰る旅での、故郷とか家族とか母親に対する思念は迫力があります。

三色徳盛弁当、おなかいっぱいになりました。