むらさきのスカートの女 今村夏子
芥川賞受賞作。中編で読みやすくて話の展開が面白く,ひねったユーモアがあった。「わたし」が語る「むらさきのスカートの女」。「信頼できない語り手」によるミステリアスな雰囲気があって,騙されたような気がしたのだが,再読してみると不思議なことは何もない事がわかる。怖さを感じるとすれば,それは現代の社会における個人の孤独感なのではないか。現代社会における若い女性の立ち位置を描いている点で『コンビニ人間』を思い出させた。語り手の「わたし」と語られる「女」の存在の軽重が,だんだんに入れ替わっていく叙述が巧みだった。
“うちの近所に「むらさきのスカートの女」と呼ばれている人がいる。”と語りはじめる「わたし」は,「むらさきのスカートの女」が気になって仕方がない。今は無職で貧困の中にいて不器用そうな「女」の就職を陰から支援しようと,「わたし」は就職情報誌をそっと「女」の近くに置いたり,試供品のシャンプーを渡したりしている。読み進むにつれて,「わたし」もまた追いつめられた生活をしていることがわかる。
存在しているのに他人から見えないという「わたし」の孤独が,「わたし」自身の分身としての「むらさきのスカートの女」に対する異常なまでの執着を生むのだろうか。
「わたし」と同じ職場で働き始めると,「むらさきのスカートの女」が思いのほか有能で世間慣れしていることがだんだんにわかってくる。いつしか「むらさきのスカートの女」の存在が前面にでて,職場での「わたし」はもっと影が薄くなっていく。「わたし」にとって,「女」は助けてあげたい存在ではなくなったのだろう。
ある事件をきっかけに,「わたし」は「むらさきのスカートの女」と入れ替わってしまったように見えた。それまで存在の薄い語り手であった「わたし」は,名前を明らかにして存在を主張し始める。そして「わたし」は第二の「むらさきのスカートの女」になるべく公園のベンチに座り始めるのだ。