壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

あひる   今村夏子

あひる  今村夏子

角川文庫 Kindle Unlimited

むらさきのスカートの女』の今村さんの第二作品集。短編が3つ。

「あひる」

「のりたま」という名前のあひるを両親が庭で飼いだした。小学生があひるを見に来るようになって、家はたくさんの子供たちで賑やかになった。病気になって病院に連れていかれた「のりたま」は、別のあひるになって戻ってきた。そのうちまた別の「のりたま」が死に、家を出ていた弟が家族を連れて帰ってくることになり、家が増築された。「わたし」は二階で終日、医療系の資格を取るための勉強をしている。

「わたし」語りの、なんともとらえどころのない話だが、「わたし」は誰なのだろうかと考えてみる。「わたし」と家族(両親)の関係は微妙だ。一緒にご飯を食べているし、疎遠な様子はないのだが、無意識のうちに家族に無視されているような気がする。あひるを飼うことも、小学生の誕生会をすることも、家を増築することも、「わたし」はあらかじめ何も聞かされていない。まったく蚊帳の外に置かれているのだ。試験に合格して資格さえ取れれば仕事が決まるというが、懸命に勉強して試験に落ち続ける「わたし」はまだ仕事をしたことはない。存在感がうすくて、小学生に顔を見られて「人がいる」と驚かれる。

この「わたし」も『むらさきのスカートの女』の「わたし」も、存在感が薄くて孤独だ。近くに人がいるのに孤独だ。彼女たちは何かに一生懸命なんだけれど、それがいっそう痛々しくて胸に刺さる。

 

「おばあちゃんの家」 「森の兄妹

登場する姉弟、兄妹は異なるが、同じおばあちゃんではないかと思う。血のつながりのない家族と同じ敷地の「インキョ」という小屋のような家に住む老婆と子供たちの交流を描く。「おばあちゃんの家」のみのりと弟、「森の兄妹」のモリオとモリコは同じ世界にはいないような気がする。おばあちゃんだけが両方の子供たちとふれあえる。年寄りと幼い子供たちとは、理解し合えないのに相性がいいのだろう。どんな感想を持てばいいのか戸惑うのだが、独特な読後感が心地いい。

 

年寄りは、小さな子供に癒しを貰う。私もゴールデンウイークが終わった新幹線の閑散期に孫たちに会いに行こう! それまで、癒しを貰える小説を読もうかな。