壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

歩道橋の魔術師  呉明益

歩道橋の魔術師  呉明益

河出文庫 電子書籍

台北市にかつてあった1980年代の中華商場を,かつてそこに住んでいた子供たちの記憶がたどる,不思議な物語です。

子供時代の記憶は,一部分だけは鮮明で強烈な印象がありますが,それを取り囲む状況などのまわりの部分は曖昧で,鮮明な記憶を取り出そうと手を伸ばすと脆くも崩れ去ってしまうもののようです。記憶と記憶を繋ぎ止め合間を埋めていくのは,後から語られる“語り”なのでしょう。それぞれの語り手の語りの大部分は個人的なもので,記憶の間を埋める言葉は,現実を突き抜けてもっと濃厚な幻想の世界に踏み込んでいきます。その幻想の世界への入り口が,歩道橋の上でマジックをしていた「魔術師」です。

11章からなる連作短編の語り手が,それぞれに違う子供たちなのかどうかよくわかりません。兄弟や友だちや知り合いのようですが,中華商場で店を営む親たちの商売がかろうじてわかる一人称の「ぼく」が,綽名でよばれる子供たちの誰にあたるのか,すぐにはわからないように描かれていて,うっかりしていると同一人物のように感じてしまいます。

ひとりひとりの子供たちの記憶は曖昧で欠落部分が多く,中華商場の全体像はつかめません。しかし何人もの子供たちの話を重ね合わせると,かつて皆が暮らしていた懐かしい中華商場の情景が立ち上がってきます。台湾に行ったことのない読者にも,人いきれの暑苦しさと痛みと喜びと,さまざまな感情と共に,見たこともない風景に対する懐かしさが理解できるのです。

 

文庫になるのを待って読んだ,はじめての台湾文学です。台湾には行ったこともありません。読み終えて,やはり中華商場の風景を知りたくなりました。思い描いていたよりもずっと規模が大きなショッピングモールでしたが,アジア的な濃厚さのみなぎる所でした。失われた場所はなぜか懐かしい。

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