壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

手話の世界へ

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手話の世界へ Seeing Voices
オリバー・サックス 佐野正信訳 晶文社 1996年

 手話が単なる口語言語の逐語翻訳ではなく、もっと自由で奥深いもので、独立した言語体系を持つのだという説明でした。手話についての知識が全くないので、どのような言語体系なのかは、わかりませんでした。あとで調べたところによると、“手話は手や指、腕を使う手指動作だけでなく、非手指動作と呼ばれる、顔の部位(視線、眉、頬、口、舌、首の傾き・振り、あごの引き・出しなど)が重要な文法要素となる。この非手指動作によって、受身、使役、命令、疑問文、条件節などの文法的意味を持たせることが出来る”(Wikipedia)そうです。
手話にもいろいろ種類があって、アメリカでは口話と手話を正確に対応させた(SEE)とアメリカ手話(ASL:American Sign Language)があり、イギリス手話とはかなり違うらしいのです。

もっとも興味深かったのは、先天的聾者が孤立した環境にあって言語(手話も)を持たないと、知性が発達しないということでした。成長してから初めて言語に出会って、抽象概念を獲得するまでになる聾者の話は感動的です。ものに名前があるということを知った彼は、身の回りのものの名前をすべて知りたがりました。
 
ものに名前がある、名前を知るということは、そのものだけでなく名前が抱合するすべてのものの概念を知るということなのです。サックスの言葉を借りれば、“名付けという行為は、定義し、列挙し、支配や操作を可能にする力であり、物体とイメージでできた世界を、概念と名前でできた世界へと変貌させる力である。絵で描かれた樫の木はある特定の木をあらわすが、「樫」という名前は樫の木の全ての部類、樫全体に適用される樫を樫足らしめる本質の総体として「樫というもの」をあらわす。”ということです。

ゲド戦記で真の名は、ものの存在の本質をあらわす太古の言葉であるとされていましたが、言っている意味は同じです。 突然 ル グィンが読みたくなりました。新刊の「ギフト」を借りましょう。