壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

周期律 元素追想

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周期律 元素追想 プリーモ・レーヴィ
竹山博英訳 工作舎 1992年 2500円

プリーモ・レーヴィは、1919年生まれのトリーノ出身のユダヤ人。化学を学んだのちレジスタンス活動に参加してナチに捕らえられ、アウシュヴィッツから奇跡的に救出された経歴を持っています。帰国後に化学工場に勤めながら、体験をテーマとした作品、他にいくつかの幻想小説風の作品を書きました。

この「周期律」では、21種の元素それぞれのイメージが作り出す物語や思い出が、時間軸に沿って並べられ、自伝のようなものを作り上げています。レジスタンス活動や収容所体験などの重いものもあるのですが、化学というものを愛し、そこにセンス・オブ・ワンダーを見出しているのが見て取れ、ユーモアに満ち、味のある面白い短編集です。図書館に返却するのが惜しくて、メモを作っていたらすっかり長くなってしまいました。読んでよかったと思える本です。

虜囚生活の後も、「戦う化学」をめざし無気力であることを否定していたプリーモ・レーヴィは、しかし、1987年原因不明の自殺を遂げています。「これが人間か」(邦題「アウシュヴィッツは終わらない——あるイタリア人生存者の考察」)という体験記を書き、人間が人間でなくなる不気味な世界を見てしまったその重圧のせいなのでしょうか。



1 アルゴン:ユダヤピエモンテ語がふんだんに使われた、自分の(アルゴンのように不活性な)一族の話。(ナタリア・ギンスブルグが肖像画のギャラリーのようで、素晴らしいといった作品。訳者あとがきより)
  
2 水素:子どもの頃、友達の兄の化学実験室に忍び込み、電気分解で作った水素を爆発させてしまった。

3 亜鉛:大学の基礎化学実験室で硫酸亜鉛を作りながら女友達も作った。ファシズムの足音が聞こえていた。

4 鉄:定性分析実験室で知り合った友人、鉄のようなサンドロ・デルマストロは、のちにレジスタンス運動で悲惨な最期を遂げた。(強烈に印象的な人物だった。)

5 カリウム:大学四年時、人種隔離法のため所属研究室がなく、やっと潜り込んだ物理実験室でベンゼンを蒸留した。Naの代わりにKを使って、最後にボワーンと爆発させてしまったが、やはり化学のほうが好きだ。
  
6 ニッケル:1941年、卒業したが仕事がなく、国軍の関連する鉱山で、残渣からニッケルを回収する秘密の任務についた。ニッケルの抽出は失敗したが、収穫は二編の短編だった。

7 鉛:鉱山で書いた小説。古代、鉛の鉱床を求めて旅するロドムンドの物語。最後にイクヌーザ(サルジニア島)の鉱山にたどり着いた。(力強い伝説のようだ。)
  
8 水銀: 鉱山で書いた小説。絶海の孤島に棲む一組の夫婦のもとに、二人のオランダ人と二人のイタリア人が流れ着いた。火山が噴火して、湧きあがった水銀をめぐって奇妙な人間関係が生まれる。(不思議な物語。奇妙な味というべきか)
 
9 燐:1942年、鉱山を辞め、かつての同級生ジュリアとともに、ミラーノの医薬品研究施設で働き始めた。植物の有機燐化合物が兎の血糖値を下げるかを調べる退屈な仕事だった。ジュリアに好意を持っていたが、彼女は非ユダヤ人で、婚約者の非ユダヤ人男性と結婚した。 

10 金:ナチスに占領されたトリーノでレジスタンス活動に加わってとらえられた。そこで知り合った囚人は、密輸の罪でありすぐ釈放されるであろう。彼が故郷のドーラ川で砂金獲りをする話を聞き、その自由がむしょうにうらやましかった。
  
11 セリウム:1944年、強制収容所でも化学実験室で働き、生きるために盗みをしていた。セリウムの合金を盗んだ時は、日々のパンを得るため、火打ち石のサイズに加工する作業を夜中続けた。一緒に働いたアルベルトは、ロシア軍によって救出される少し前に別の収容所に移送され二度と会うことはなかった。
  
12 クロム:1946年、収容所から帰国して文章を書き始めたが精神的にも苦しい状態だった。生活のために塗料製造会社に勤め、固化して廃棄せざるを得ないクロム酸塩防錆塗料の原因を調べる仕事を任された。そのころ生涯の伴侶にもめぐり合い、人生に活力を見出した。クロム酸塗料の固化は、原料に含まれる鉛酸化物のために塩基性に傾く事という原因を見つけ出し、塩化アンモニウムで中和する処方を作って会社に貢献した。それから十年後、同じ会社でもう必要もないのに、塩化アンモニウムを理由なく入れる処方が使われ続けていたのを聞き、かすかな甘い感情を抱いた。

13 硫黄:創作。化学工場で夜勤についているランツァは、ある夜、硫黄を加えた後に、反応中のボイラーの圧力が異常に上がり爆発しそうになったが、機転を利かせて回避した。そして、その事を誰にも話さなかった。(ありそうな話。)
  
14 チタン:創作。チタンが含まれている真っ白なペンキを塗っているペンキ屋の男を、幼いマリーアはずっと興味深く観察していた。(かわいい話。)
  
15 砒素:独立して分析試験所をはじめた。靴直しの男が持ち込んだ砂糖には、たっぷりと砒素が含まれていた。商売敵の恨みをかっているらしい。

16 窒素:うさんくさい化粧品製造会社の経営者から、口紅の色素の原料に使うアロキサンを安く入手してくれと頼まれた。アロキサンは窒素を含む有機化合物である。尿酸を分解して作ろうと、結婚したばかりの妻と一緒に、田舎を回ってやっとの事で鶏糞を手に入れた。しかし有機化学は得意ではなく、鶏糞は鶏糞のままで、尿酸の結晶は表れなかった。(笑える話。)
  
17 錫:エミリオに誘われて見栄を切って工場を辞めたのだが、生活は大変になった。エミリオは両親のアパートの中に実験室を作ってしまった。そこで錫を塩酸に溶かして塩化錫を作って売っていたが、とうとう事業は失敗に終わった。
  
18 ウラニウム:塗料会社にもどって、SAC(顧客扶助係)?営業職?として働いたが、要するに向いていなかった。顧客の現場主任ボニーノの作り話を延々と聞かされ、ナチの飛行士から貰ったというウラニウムの塊まで送りつけられた。そっと実験室に行って分析してみるとそれはウラニウムでなく、カドミウムだった。ボニーノの自由な想像力がうらやましかった。

19 銀:卒業二十五周年記念の招待状を受け取った。独創性のきらめきこそなかったが、いつも率直で誠実だったチェッラートが銀にまつわる話をしてくれた。ドイツの工場でX線用印画紙の検査部門にいた。厳密に防塵されていたにもかかわらず、写真に染みが現れるというクレームが発生した。上流にある皮なめし工場の排水が流れ込んだ川の水をイオン交換して洗濯のすすぎに使っていたために、ポリフェノールが作業服にしみこんで、その繊維の微細な埃が原因だったのだ。

20 ヴァナディウム:ドイツの大手W社が納入した塗料用の樹脂に不都合があった。丁重なクレームの手紙をだした。返ってきた返事には、ヴァナディウム・ナフテンを加えれば解決できるとあった。それを書いたのはアウシュヴィッツで出会った、ミューラー博士だった。(この後の話は、簡単には説明できない。「アウシュヴィッツは終わらない」は読むべき本である。)

21 炭素:ある特定の1つの炭素原子に注目し、地球規模の生態系の炭素循環を物語にした。(炭素循環を知らなければ、もっと面白い物語として読めたはず。だが、前の重い話で終わっていたら、この短編はぜんぜん別のものになっていただろう。この章があることで、全体のバランスが取れている。)



プリーモ・レーヴィは、「周期表は詩のようで、韻まで踏んでいる。」といっています。イタリア語の元素名の語尾ってどういうのかな?この本、周期律関連の本を探していて見つけたのですが、本の森の狩人(筒井康隆著 岩波新書)で紹介されていたのをかろうじて思い出しました。十年以上前に読みたいと思っていた本でした!

プリーモ・レーヴィの「休戦」( 1963)は邦題「遙かなる帰郷」で映画化されているが、代表作La chiave a stellaは未訳だそうです。幻想小説は、竹山博英編訳 国書刊行会 現代イタリア幻想短篇集 I・カルヴィーノに「ケンタウロスの探求」が一編だけあるらしい。