壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

風の十二方位 アーシュラ K ル・グィン

風の十二方位 アーシュラ K ル・グィン

小尾 芙佐・他 訳  ハヤカワ文庫SF  電子書籍

ル・グィンの初期短編集で,17編のバラエティに富んだ作品が収められている。あまりにも多彩なため,各作品の場面設定が分からないものが多い。著者自身のまえがきが作品ごとに付されてはいるが,長編作品との関連の深いものが多くて,読んだ事のない長編を類推しながら読み通すのは厄介だった。

SFという括りには入っているが,ル・グィンのSocial Science Fictionは思索的,実験的な面が強くて,忍耐力を求められるものが多かった。魅力的な作品が多いが,読み始めるのを躊躇するくらい重そうで,未読のままになっているものをどうしようかと,ずっと迷っている。

久しぶりにSFが読みたくなって,除夜の鐘をききながら読み始めた本書を一週間かけて読み終えた。訳文が所々分かりにくいせいだけではないが,疲れた。掲載が発表年代順という事で,ル・グィンの多元宇宙(ハイニッシュ,アースシー,その他サイコミス)を行ったり来たりしながら読んだが,順序を入れ替えて記録しておく。少しは自分のボケ防止になると思って。

 

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アースシー」(『ゲド戦記』として知られる世界)の物語は「5.解放の呪文」と「6.名前の掟」。六巻もあるアースシーの物語はいつか読み返そうとは思って処分せずに書棚に置いてある(が,再読は可能なのだろうか)。

5.解放の呪文」では牢獄に捕らえられたフェスティンという魔法使いが,最後の手段で脱出を試みる。

6.名前の掟」は小さな島に住みついた力のない魔法使いが〈真の名前〉を呼ばれた事で恐ろしい竜に戻ってしまう。

「ハイニッシュ・ユニバース」(ル・グィンの主要な世界)の物語群は下記の四つ。ハイニッシュ・シリーズは7つの長編といくつもの短編からなっている。既読の長編は最初の『ロカノンの世界』と最後の『言の葉の樹』。未読の『闇の左手』と『所有せざる人々』は電子化されているのでそのうち読もうと思っている。

1.セムリの首飾り」は『ロカノンの世界』の冒頭をなすもの。

7.冬の王」は『闇の左手』の舞台である惑星ゲセンの話。子供時代には性別の決まっていない種族って,萩尾望都の『11人いる!』のフロルみたい。

12.帝国よりも大きくゆるやかに」は辺境の惑星への探査に出かけたチームの人間関係と,動物が全く存在しない惑星の植物全体が集合体としてもつ知覚についての話。真菌類の菌糸や菌根が地中でものすごく大きなネットワークを持っているというを思い出した。

17.革命前夜」は『所有せざる人々』の舞台である惑星の歴史上の革命指導者であるオドーの晩年の物語。72歳になった彼女の内面を描き,かつて革命運動の中心的存在であった過去と,体力が衰えて活動に消極的になった現在を対比させている。私も今年は72歳。歳をとって初めてわかることもあるんだなあと思うけれど,老いの哀しみとか,悔恨とか,ル・グィンがこれを40代で書いたんだ。

残りの11編はル・グィンがサイコミス(心の神話)と呼ぶ物語群は思考実験のようなもの,意図が分からないもの,ル・グィンが「これはサイコミスではない」というものもあって分類できない。

2.四月は巴里」 最初に原稿料をもらった作品だそうで,ファンタジーの要素が強くて面白い。20世紀の学者が17世紀のパリで錬金術師に遭遇し,さらに三千年先の異星人が…

3.マスターズ」 科学と魔術と宗教が混沌としていた時代の科学者の葛藤を架空の世界で描き出している。

4.暗闇の箱」 ファンタジー。魔女の住んでいる四つ脚の小屋は,ムソルグスキーの「「バーバ・ヤーガの小屋(鶏の足の上に建つ小屋)」みたいだ。

8.グッド・トリップ」 ヤクによる幻覚を描いているのかと思ったら,思い込み?

9.九つのいのち」 9人のクローンが惑星探査のチームにいる。クローンたちは自己と他者をどう認識しているのかというような思考実験。

10.もの」 小さな島から皆が逃げ出している中で,煉瓦職人が選んだ道は希望だったのか。

11.記憶への旅」 私は誰,此処は何処,という状態から抜け出せるようで抜け出せない。

13.地底の星」 「3.マスターズ」と同様,科学が,宗教のような強力な規範に押しつぶされそうになった時にどうなるかを心理的な側面から描く。

14.視野」 宇宙飛行士たちが惑星の遺跡で体験したものは何か。器質的に異常がないのに聴力や視力を失って帰還した。あの遺跡は何なのか。

15.相対性」 ユーモアたっぷりのおとぎ話のようだ。近づいていくとだんだん大きく見える木の正体は,それだったのか!

16.オメラスから歩み去る人々」 最も短くて最も重いテーマの思考実験的作品。オメラスという豊かで幸せな都市の繁栄は,実はたった一人の子どもの悲惨な犠牲の上に成り立っているという。オメラスの人々はそのスケープゴートの存在を記憶から消し去って自分たちだけの幸福を享受するのか,罪悪感からオメラスを立ち去ってどこでもない場所に向かうのか。たぶん,この二択でないことが重要なんだと思うのですがね。