壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

神のいない世界の歩き方  リチャード ドーキンス

神のいない世界の歩き方 「科学的思考」入門 リチャード ドーキンス

大田 直子訳  ハヤカワ文庫NF 電子書籍

ドーキンスの15年ほど前の著書『神は妄想である -宗教との決別』のダイジェスト版ともいえる内容でした。第一部ではキリスト教の正典である聖書は、神話や伝説であって歴史的事実ではないと説き、第二部では自然の生き物の中に見られる精巧な美しさは、自然淘汰による生物進化の帰結であり、誰かが(神が)デザインしたものではないことを解説しています。ドーキンスの過激ともいえる、いつもの戦闘的態度を引っ込めて、若い人向けの啓蒙書を目指しているようです。

進化生物学者として、ドーキンスが目指しているのは科学としての生物進化論の啓蒙的普及ですが、そのためには、創造論を頑として主張するキリスト教原理主義との対立を無視するわけにはいかないというわけです。欧米、特にアメリカは創造論支持者が多く、進化論ではなく創造論を学校教育で教えるという事さえあるそうです。キリスト教に限らず、ユダヤ教イスラム教のような起源が同じで唯一神を信奉する宗教は、互いに相容れず、硬直した価値観を持っています。そういう宗教に少しばかり疑問を持っている若い信者を対象にして、宗教から脱却して、科学的合理主義へ向かうことを呼びかけています。

日本では、宗教に関する意識は比較的緩やかで、キリスト教の神様さえ、日本に古くからいる(?)神様の一人くらいに思っている日本人のなんと多いことか(笑)。しかし、日本にも堅固な宗教心を持つ人もいるわけで、昨年の安倍元首相の事件を起こしたことで、宗教二世問題が注目されるようになりました。信教の自由はとても大切なことですし、自覚的に信じることで幸せになるなら、他人が口を出すことでもないでしょう。しかし子供の頃から一つの価値観しか与えられず、不本意にもそこから逃れられなかったら不幸な事です。

人間はなぜ宗教(や似非科学)を信じやすいのかという理由も、「互恵的利他主義」になじみやすい脳の働きから考察されています。しかし、科学的合理主義を身に着ける事こそ、「神のいない世界の歩き方」であるというドーキンスの主張に大いに共感を覚えます。科学の形をした宗教も、宗教の形をした科学も、どちらも怪しい存在だと思います。

 

既読のリチャード・ドーキンスの著書は、覚えているだけで、『利己的な遺伝子』、『遺伝子の川』、『盲目の時計職人』、『進化の存在証明』、『悪魔に仕える牧師』、『祖先の物語』、『虹の解体』、『神は妄想である』。

読み逃してしまった本は『延長された表現型』。これはぜひ読みたいが、分厚い専門書で電子化されていないのでもう無理かもしれない。『魂に息づく科学』と『ドーキンス自伝Ⅰ、Ⅱ』は電子化されているのでそのうち読もう。『ドーキンスが語る飛翔全史』は電子化されているが高価なので、いつか図書館で借りよう。