壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

科学と宗教 合理的自然観のパラドクス

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科学と宗教 合理的自然観のパラドクス  J・H・ブルック
Science and Religion: Some Historical Perspectives  John Hedley Brooke
田中靖夫 訳 工作舎 2005年 3800円

マルグリット・ユルスナールの「黒の過程」を読むための本です。読みたい小説のためでないと、こういう本を選んで読むことはあまりありません。特に第二章:科学革命期の科学と宗教、第三章:科学革命と宗教改革の部分は関連がありそうです。面白ネタもトリビアしたいのですが、チョッと難しい。著者はオックスフォード大神学部の教授ですが、有機化学の出身のためか、自然科学に関する記述に全く違和感がなく読めました。

科学と宗教の関係は、科学と宗教の対立という闘争モデル、科学と宗教が全く別物であるという分離モデル、科学と宗教が互恵的なものであるという互恵モデル、この三つの立場で理解されてきました。この本は、科学と宗教の関係を、中立的な立場から史実の中に見出そうという試みです。

時代と共に、科学も宗教も変化してきましたが、その時代における両者の境界線がどのように変ってきたのかをたどっています。両者がどのように相互作用してきたのか、その複雑で多様な関係こそ、欧米の思想史であるようです。そして、結論を簡単に言ってしまえば、第三のモデルで示されるような両者の互恵的な関係が、史実の中に多く見出されるということのようです。

闘争モデルの例として、避雷針をつけることに反対したため、落雷(神の怒号)で何度か破壊されたヴェネツィアのサンマルコ寺院の鐘楼が引き合いに出されています。下は、挿絵のFrancesco GUARDIの「サンマルコ広場」(1760年ころ)。このあと、1766年に鐘楼に避雷針が取り付けられたそうです。フランチェスコ グァルディというヴェネツィア派の画家は、この後何度かサンマルコ広場を描いていますが、鐘楼にある避雷針を絵の中に確認する事はできませんでした。
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この本では、科学とは何か、宗教とは何かという言葉の定義づけを厳密には行なわないという方針です。定義し始めると本一冊で終わらないし、その定義さえ時代や文化的背景の中で変化してしまうからです。また、歴史の中で、宗教と科学だけを純粋に取り出すことは不可能で、科学や宗教を道具として利用する政治や社会の存在が大きいからでもあります。

寛容な定義はというのは、たしかに賢明な方法です。しかし西欧社会の思想史なので、主にキリスト教関連の宗教を扱うとしています。仏教のような超越的な創造主のない宗教のもとでの、科学と宗教の関係は、これとは異なるものでしょう。

コペルニクスから始まる16世紀半ばから150年間の科学革命期に、宗教から科学が分離したという大方の見方に異論を唱えるのが、第二章です。それ以前のアリストテレス哲学の究極は、自然の目的因を探る事であり、「石はなぜ地面に落ちるか」という問いの答えは「大地から生まれた石が本来あるべき場所へ戻るため」というものでした。ガリレオからデカルトニュートンへ続く機械論的世界観では、石が落ちる直接因に着目しました。目的因は神の摂理にも似て、そこからの脱却は科学が宗教の呪縛から開放されたようにも見えるのです。しかし、デカルトもボイルも、ガリレイにも強い宗教的信念があったというのです。

科学と宗教の関係を複雑にするものの一つとして、ルネッサンス期の魔術的傾向(錬金術占星術)があります。近代科学にはビサンチン由来のヘルメス文書に刺激された部分が存在し、魔術と科学の境界線も明らかにされなければなりません。魔術もしくはオカルトは、宇宙には人間のために利用できる力が備わっていてそれによって自然を改変できる、と考えるものです。

「黒の過程」のゼノンのモデルの一人であったパラケルススの話がありました。近代科学の定義で言えばパラケルススは化学者であり医学者であったわけですが、彼の発想の原点は霊的なものでした。自然の原料を化学的手段によってより貴重なものへ変換することが神から授かった使命であり、錬金術に並行して化学を医学に応用して特効薬を処方したのです。ガレノス説を否定して、病気が体外から侵入する種のようなものだとしたのですが、彼の考案したペストの特効薬は、乾燥したヒキガエルから作られたものであり、パラケルススの中では科学と魔術が融合していました。

魔術と宗教もまた不分離でした。当時のカトリックの一部では魔術師が聖職者であり、俗習の宗教儀式には宗教行為と魔術的な行為の両方が含まれていたようです。宗教を危険にさらさずに魔術の不快な要素を取り除こうという試みはカトリックでも、またもっと強くプロテスタントでもなされていました。宗教は魔術を批判すると同時に、新しい科学観の表現にも干渉したわけです。

第3章では、プロテスタントは近代科学の成立に貢献し、カトリックは頑迷であったという図式は必ずしも成り立たないということがかかれています。科学が提示した新しい宇宙観は、新教か旧教かの教義上の特徴によって扱いが違ったというよりは、両派間の対立関係によってその命運が左右されたといえそうです。

進化論と宗教の問題が論ぜられている後半の方が実は面白かったのですが、読み疲れました。根性なしなのでこれ以上レビューは無しにして、後は雑駁な感想と目次によって代えておきます。

キリスト教によれば人間は、宇宙に遍く存在する神が創造したものですが、現代科学では神は人間の意識の中にあります。宇宙全体からみれば、ほんの一握りの物質で構成された人間(もしくは人類)。その人類が小さな脳髄で宇宙の時間からみればほんの一瞬の数千年間に、その意識の中に作り上げたものは、しかし、ビックバンから始まった100億年を越える時間と、ほぼ無限の宇宙空間の先にある虚無さえも覆いつくすのです。

この無限の抱合関係の入れ子構造が、宇宙と神と人類と科学の関係を表しているように、私は感じるのです。しかし人類が滅亡しその文明がことごとく失われてしまえば、科学も宗教も神も消失し宇宙のみが残るのはずですが、しかし、まあ宇宙人の存在だって否定はできないし、人間の意識は人類の滅亡ばかりか宇宙の終焉にまで及んでいるわけだから、ややこしい限りです。AI物のSFを読みたくなりましたが、「黒の過程」の続きを読まなければ・・。
    
目次
序章 科学と宗教は互恵的に関わってきた
第1章 科学と宗教の相互作用をめぐる予備考察 序論――人類の知的遺産を見落とさぬように/多様なる相互作用/科学と宗教の闘争モデル/科学と宗教の調和モデル
第2章 科学革命期の科学と宗教 序論――自然観の繚乱/科学と宗教は分離したのか?/科学は神学の奴婢/魔術、科学、宗教/神学的に表現された科学革新/分化すれど分離し難し
第3章 科学革命と宗教改革 序論――ペルニクス体系への反応/新しい天文学の挑戦/新しい天文学への受容性──ある仮説の検証/宗教改革と反宗教改革──宗教が科学に及ぼした間接的な影響/ガリレオとウィルキンズにみる知的自由の問題/プロテスタンティズムと実用科学
第4章 機械論的な宇宙における神の活動 序論──歴史のパラドクス 有機的比喩から機械的比喩への転換/機械論哲学は神学によって正当化された/奇跡を擁護したメルセンヌ/人間の尊厳を擁護したデカルト/神の統治を擁護したボイル/神の遍在を擁護したニュートン/機械論哲学がもたらした宗教的憂慮/ニュートンの宇宙における神の活動──ジレンマ、曖昧さ、アイロニー
第5章 啓蒙時代の科学と宗教 序論──体制化されたキリスト教への攻撃/科学の宗教的有用性──ニュートンライプニッツ/科学以外の原因による宗教からの覚醒──ヴォルテール/理神論からの攻撃──トーランド、ティンダル/唯物論の脅威──ディドロ、ハラー、プリーストリー/不可知論の脅威──ヒューム/結論:啓蒙時代の多様性――ウェズリー
第6章 自然神学の盛衰 序論──科学の大衆化への貢献/イギリスの自然神学――伝統の発展プロセス/ドイツの自然神学とカント哲学/自然神学の継続した諸機能──エラズマス・ダーウィン/自然神学が科学に及ぼした影響──バックランド、オーエン/科学が自然神学に及ぼした影響
第7章 過去のビジョン――宗教的信念と史的科学 序論──大博物学時代/リンネ――種の固定と疑いの種子/ビュフォン――地球の歴史/ラプラスの太陽系仮説/ラマルクの生命進化説/キュヴィエ――もう一つの生命史観/ライエル――史的科学における史的解釈/ダーウィン――種形成の史的解釈/学問としての歴史――聖書批判の発展/結論――科学的批判主義と史学的批判主義の収斂
第8章 進化論と宗教的信念 ダーウィニズムの挑戦/ダーウィニズムの成功要因/拠り所としてのダーウィニズム――社会ダーウィニズムの多様性/政治的文脈との関連性――フランスとドイツのダーウィニズム比較/「二つだけの選択肢」と進化論的自然主義という「宗教」/進化論に影響された宗教/真理を求めて
第9章 20世紀の科学と宗教/序論──20世紀以降の課題/フロイトの宗教観/新しい科学の理解に向けて――物理学の革命/システムとしての世界――ホリスティックな概念の台頭/科学と人間の価値観