ユルスナールの「青の物語」以来、青をめぐる物語を探していましたが、面白そうな本を Webcat Plusの連想検索で見つけました。ミシェル・パストゥローはフランスの歴史家。紋章学や色、動物の歴史人類学分野での著作がたくさんあるそうです。ギリシア・ローマの人々にとっては、青は不快な野蛮の色だったのに、現代では最も好まれる色となっていて、何世紀もの間のどこかで価値の完全な逆転がおこっているはず。その逆転の歴史が描かれています。
色とは、自然現象である以上に複雑な文化的構成物であり社会的事象。絵画や芸術の分野ばかりか、言語、化学、宗教、服飾と分野横断的な領域の歴史です。図は98点すべてがカラー図版の原書に比べ、本書は21点のみがカラーであとはモノクロなのが残念ですが、西洋史のエピソードを交えて、青の歴史とそのライバルである赤の歴史も知る事のできる、とても興味深い本でした。「完璧な赤」とはまた違う種類の面白さです。
~~~~~~~~~~trivia~~~~~~~~~~
古代から中世初期には青は全くといっていいほど無視されていた。古代ラテン語には単独ではっきりと青色を表す言葉がなく、ロマン諸語の中には、ゲルマン語やアラビア語由来の青(blue<blau)や群青(azur<lazaward)が定着した。
ギリシャ人とローマ人は布を青く染めなかったが、古くからケルト人やゲルマン人はタイセイ(大青?)から、アジアではインド藍からインジゴチンを作り出して染色していた。聖書の中に頻繁に出てくるサファイアという言葉は、ラピスラズリと混同して使われていた。(ユルスナールが「青の物語」でラピスラズリという言葉を使わないのは、こんなことかもしれない。)
青を吉相とするエジプト人は、藍銅鉱、ラピスラズリ、トルコ石ばかりか珪銅鉱から作った人工青色顔料を磁器化する技術を持っていたが、ギリシャ・ローマはその技術を持たなかった。唯一認められる青は東洋伝来のモザイクで、ビザンチン美術や初期キリスト教美術に見られる。
ギリシャ・ローマに青に関する記述が少ないから、彼らは青い色を見る生物的機能がなくて後に進化して能力を獲得したというトンデモ説まである。それはともかく、ローマ人は青を蛮族の色と見ていたという。「ブリタニア人は体の色をタイセイで青く染める。・・このため彼らは戦場で余計に物凄く見える」とカエサルはガリア戦記に書いている。ローマにおいて青い服は喪の印、青い目はほとんど身体的欠陥であった!
中世初期には白黒赤は常に優越的であり、宗教的典礼に青はいっさい表れなかった。しかし十二世紀末に青は復権した。聖母マリアの青い服も喪の色ではあったが鮮やかな青として定着した。青いステンドグラスの安価な技術(コバルト→銅、マンガン)によって青はいっそうの広がりをみせ、空と光を表す青となった。マリアの色であった青はさらに国王の色になった。フランス国王の好みは鮮やかな青い地に金色の百合をあしらったもの。
↓下はウィルソンのディプティカ1395年ごろ ロンドンナショナルギャラリー蔵
↓カンタベリ大聖堂 ステンドグラスを通して、色は物ではなく光としてとらえられた
宗教改革によって、プロテスタント好みの黒とともに青の地位が向上し、また鮮やかな色を避ける色彩嫌悪の風潮が現れた。ニュートンによる光理論は赤、黄とともに青の三色の優位性を高めた。タイセイから取れる青色染料よりも安価で、染色性の強いインジゴがアジアや新大陸から入るようになり、19世紀末には化学合成法が発見されている。
宗教改革によって、プロテスタント好みの黒とともに青の地位が向上し、また鮮やかな色を避ける色彩嫌悪の風潮が現れた。ニュートンによる光理論は赤、黄とともに青の三色の優位性を高めた。タイセイから取れる青色染料よりも安価で、染色性の強いインジゴがアジアや新大陸から入るようになり、19世紀末には化学合成法が発見されている。
上流階級の濃い青は明るい青に変わっていった。「色彩論」を書いたゲーテは若きヴェルテルに青い燕尾服を着せている。ロマン主義は青を崇拝し、「青い鳥」は到達し得ない理想的存在であったが、さらメランコリー、ノスタルジーに変容していった→ブルース。フランス革命を経た青は政治的な色合いをおび、共和右派の色となった。
19世紀以降、青はさらに人気の色となった。例えばブルー・ジーンズの系譜は現在では何かの象徴ではなく、普通の人が普通に着る普通の服である。20世紀において、青は西洋で最もお気に入りの色である。調査すると半数以上が青をあげる。現代の青は、際立たない、主張しない、という意味での中立の青である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
西洋の話ばかりだったけれど、最後にほんの少しだけ日本のことがあった。非西洋圏の日本では三分の一の人が白をお気に入りにあげる。そして白の色階に関する語彙が多く、西洋人には白色の区別はつきにくい。また、日本人の感受性では、色は艶や光沢があるかないかが色以上に重要視されるらしい。写真の印画紙の光沢/つや消しというこだわりは日本発のものだったらしい。
白色の和名を調べて見たら、たくさんあるんです。知らなかったなあ。現代の日本人は、そんなに白に敏感なのかしら。でも、携帯電話のデザインなどみても分かるように、欧米とは明らかに好みが違い、色ばかりか質感にまで凝るのが日本の消費者かもしれません。
ミシェル・パストゥローは他にも面白そうな本があります。
「悪魔の布-縞模様の歴史」
「王を殺した豚王の愛した象」
「悪魔の布-縞模様の歴史」
「王を殺した豚王の愛した象」
~~~~~~~~~~目次~~~~~~~~~~~~
まえがき 色と歴史家
まえがき 色と歴史家
第1章 控えめな色―起源から十二世紀まで
白とそれに対立する二色/青く染める―タイセイとインジゴ/青く塗る―ラピスラズリと藍銅鉱/ギリシャ人とロ―マ人に青は見えていたか/虹に青はないのか?/中世初期―青の沈黙と控えめさ/典礼の色の誕生/色の使用に好意的な高位聖職者と色を嫌う高位聖職者
白とそれに対立する二色/青く染める―タイセイとインジゴ/青く塗る―ラピスラズリと藍銅鉱/ギリシャ人とロ―マ人に青は見えていたか/虹に青はないのか?/中世初期―青の沈黙と控えめさ/典礼の色の誕生/色の使用に好意的な高位聖職者と色を嫌う高位聖職者
第2章 新しい色-十一から十四世紀
聖母の役割/紋章の証言/フランス国王からア―サ―王へ―王家の青の誕生/青く染める―タイセイと青色染料(パステル)/赤の染め物師と青の染め物師/混合と媒染のタブ―/混合の手引き/色の新しい秩序
聖母の役割/紋章の証言/フランス国王からア―サ―王へ―王家の青の誕生/青く染める―タイセイと青色染料(パステル)/赤の染め物師と青の染め物師/混合と媒染のタブ―/混合の手引き/色の新しい秩序
第3章 道徳的な色―十五から十七世紀
奢侈法と服飾規則/規定された色と禁じられた色/地位が向上した黒から道徳的な青へ/宗教改革と色―礼拝/宗教改革と色―芸術/宗教改革と色―服飾/画家の色彩群(パレット)/色の新たな係争点と格づけ
奢侈法と服飾規則/規定された色と禁じられた色/地位が向上した黒から道徳的な青へ/宗教改革と色―礼拝/宗教改革と色―芸術/宗教改革と色―服飾/画家の色彩群(パレット)/色の新たな係争点と格づけ