壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語

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完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語
エイミー・B・グリーンフィールド 佐藤桂訳 早川書房 2006年 2000円

コチニールという赤い色素は、今では食品添加物として使用される身近なものですが、16世紀にこの「完璧な赤」を独占的に扱っていたのはスペインだた一国でした。新大陸の貴重な色素の由来は秘密にされ、鉱物か、植物か、動物か二世紀にも渡って科学者を巻き込んで議論されたそうです。

布の染料としての赤い色は、貴重であるがゆえに長く権力の象徴とされ、莫大な商品価値をもつこの色素をめぐって、ヨーロッパ諸国は国をあげての争奪戦を展開しました。海賊もスパイも「完璧な赤」を追って大騒動。スペインの勢力が減衰するとともにコチニールの秘密は暴かれ、さらには化学合成染料に席巻されて、コチニールの命運も風前の灯となりますが・・・。

雑学系ノンフィクションなのですが、歴史ミステリ風味でとても面白い本でした。

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新大陸発見以前には、ヨーロッパの各地で取れるケルメス染料を使ったヴェネチアン・スカーレットが最高の赤とされ、ヴェネチアの赤色染色ギルドはその秘密を守るのに必死だった。

レンブラントが「ユダヤの花嫁」で使用したコチニール・レーキは300年の年月を経ても鮮やかさを失うことはないという。レンブラントはレーキの作製に長けていたらしいが、ターナーの赤は退色してしまったらしい。
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コチニールの一大産地であるメキシコのオアハカ一帯は、非常に古い時代からコチニールを生産していたらしい。コチニールカイガラムシの品種改良が行なわれ、ウチワサボテンの栽培法や虫の飼育方法が確立されていた。財政破綻しかけたスペインにとって、コチニールは黄金以上の商品であったが、丹精と忍耐を必要とする非常に手間のかかる飼育法は大規模化できず、奴隷を使ったプランテーションに適さなかった。

そのために貪欲なスペイン商人に翻弄されず、メキシコ先住民もコチニールの恩恵をこうむった。オアハカ一帯の先住民は、自給自足の副業としてコチニールを栽培し現金収入を得たが、スペイン人に雇われるわけでないため非征服者の不名誉を感じることなく、一族とともに働く事ができた。それゆえスペインの支配と持ち込まれた病気にも屈することなく、オアハカ一帯の先住民文化はその後何百年も守り続けられ、いまでもメキシコ随一の多様な文化や言語を誇る州だという。

コチニールカイガラムシアメリカ大陸から生きて持ち出すことが難しかったのも、スペインが長くコチニールの秘密を保てた理由のひとつ。乾燥させたコチニールの細かい粒は、旧世界にあったケルメス染料の原料(グレイン)と似ていたが、それがもともと虫なのか、種なのかははっきりしなかった。生命の自然発生が完全に否定されなかった時代だから、不思議はない。ウチワサボテンから生み出される実のような虫という説もあった。

コチニールは錫と安定なレーキ(金属と結合した不溶性の顔料)をつくるという発見はコルネリウス・ドレベルによってなされている。この発見によって、実用化に拍車がかかった。このドレベルという人物、錬金術も研究していたらしい。顕微鏡の大家レーウェンフックはコチニールを観察して、はじめは植物の種子であると結論したが、後に虫であると訂正。乾燥した粒(虫の腹部)の中の卵を見出した。

安価な合成染料に席巻されオアハカも衰退しかけたが、1970年代に合成染料の安全性が疑問視され自然食ブームの中で、再びコチニールが食用色素として一躍注目されるようになった。でも、嗜好だけでなく主義の問題もあって、そんな虫からとった色素なんか食べたくないと言う人もいれば、アレルギーを起こす人もいるということで、特にアメリカで反対運動が起きた。。

19世紀から20世紀にかけて合成染料ができて鮮やかな色が安価で手に入るようになると、富裕層の流行は赤から離れ黒や青という地味な趣味に移っていた。派手な色を嫌悪するような風潮が生まれたという。
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コチニールの話は「オアハカ日誌」 「動物の色素」で興味をもち、この本に行き着いたけれど、色をめぐる話には興味が尽きません。「青いガーネットの秘密」を読んだばかりでしたが、ユルスナール「青の物語」を出発点として、青をめぐる物語も探してみましょう。