闇の中をどこまで高く セコイア・ナガマツ
金子浩訳 東京創元社海外文学セレクション 図書館本
致死的な感染症が蔓延する世界で、人々はどう生きていくのか。いくつもの短編が重なるような形で、家族や友人への喪失の痛みが、静かに抒情的に描かれている。舞台も語り手も異なる独立した短編とも思えるような内容だが、それぞれがかすかに繋がっていて、全体がだんだんに見えてくるという読書の愉しみがある。
気候変動でシベリアの永久凍土から現れたエマージングウイルスは、人間の体内で臓器を別の物に変えていく。幼い子供たちを苦しまずに送り出す安楽死パークで働く青年の葛藤を描く「笑いの街」のやるせない終末観。変容した臓器を移植するために遺伝子改変されたドナー豚は言語を理解するようになり、幼い息子を失った研究者が豚に絵本を読み聞かせる「豚息子」は感動的。死者が多すぎるため葬儀までの長い時間をすごす「エレジーホテル」での家族との葛藤。遺されたペットのロボット犬はもう修理がきかないという「吠えろ、とってこい、愛していると言え」での喪失感。
人類の終末への道が描かれた前半だが、中ほどから人類の再生の道が見えてくるようになる。
人類の生存を探るために深宇宙へ向かう宇宙船の計画を描く「事象の地平面のある暮らし」。宇宙船ヤマトの打ち上げから、ハビタブルゾーンにある系外惑星を探す「百年のギャラリー、千年の叫び」。感染が少し落ち着き、後遺症や社会システムの崩壊から立ち直ろうとする人々を描く「東京バーチャルカフェの憂鬱な夜」など。海面が上昇し主要都市が消えた日本で、新たな共同体が生まれる様子を描く「墓友」。最後章の「可能性スコープ」は宇宙全体の時間を見渡すような視点をもつ、パンスペルミア的ファンタジーだった。
日本にルーツのある著者のためか、登場人物の多くは日系人または日本人なので親しみやすいかもしれない。「墓友」の新潟の田舎の葬儀の様子は、2100年代の設定なのに、なせが懐かしい。
あとがきにもあったけれど、終末SFとして印象的だったネヴィル・シュートの『渚にて』を思い出した。ストーリーの類似点はないけれど、死を静かに受け止める雰囲気が共通なのだろう。
英語版には目次があるのに翻訳本にはない。図書館に返す前にメモっておく
三万年前からの弔辞 30,000 Years Beneath a Eulogy
笑いの街 City of Laughter
記憶の庭を通って Through the Garden of Memory
豚息子 Pig Son
吠えろ、とってこい、愛していると言え Speak, Fetch, Say I Love You
腐敗の歌 Songs of Your Decay
事象の地平面のある暮らし Life Around the Event Horizon
百年のギャラリー、千年の叫び A Gallery a Century, a Cry a Millennium
パーティーふたたび The Used-to-be Party
東京バーチャルカフェの憂鬱な夜 Melancholy Nights in a Tokyo Virtual Cafe
きみが海に溶ける前に Before You Melt into the Sea
墓友 Grave Friends
可能性スコープ The Scope of Possibility