壊れかけたメモリーの外部記憶

読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

鏡影劇場 逢坂剛

 鏡影劇場 逢坂剛

新潮社  図書館本

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ホフマンに関する古文書ミステリーである700頁弱二段組みのこの本は,凝りに凝った構成を持っています。本書全体は,出版と編集を任せると逢坂剛に送られてきた謎のフロッピーに入っていた文書の著者は本間鋭太,編者が逢坂剛という枠を持つのですが,その枠が揺らいでしまうような印象があります。

日本人ギタリスト倉石学がマドリッドで見つけたホフマンに関する未発見古文書から始まり,倉石の家族や知人やその古文書を解読する本間鋭太というドイツ文学者たちの複雑な関係が進行するとともに,本間による古文書の解読とホフマンに関する新たな謎が明らかになっていきます。ホフマン研究のレビュー論文か,ホフマンの評伝かと思うくらい学術的な記述がある一方,ホフマンの時代の登場人物と現代日本の登場人物があやしいまでに重なって,全部がフィクションなのかどうか,わかっていてもやはり先を読まずにはいられません。

本間によって小出しに出されていく謎に翻弄され,ホフマンの物語と倉石たちの物語が交互に出てくるばかりか,ドッペルゲンガーのように互いに呼応し合い,合わせ鏡に写る鏡像がどんどん増えて歪んで,無限ループに陥ります。

幾重にも重なる枠構造はマトリョーシカのようです。普通,マトリョーシカは外側からだんだんに内側に向かって開いていくのですが,この小説はマトリョーシカの内部から外に向かって開けていくような構造になっていて,どこまで行ったら一番外の枠にたどり着けるのか,最終章は袋とじになっていて(図書館本なので残念!)さいごまで好奇心を煽られました。

形式上の外枠は,逢坂剛の編者識語(まえがき)と編者跋語(あとがき)なのですが,あらかじめホフマンの短編を読んでいたからでしょうか,その外枠のもう一つ外側にE.T.Aホフマンが逢坂剛をもってして,この渾身の物語を書かせたという最外殻があるような気がするのです。