前作の続きで。「キャッチャー」がどうして今頃翻訳できたのかの詳しい事情(「ライ麦畑」は日本では白水社の独占契約で、村上訳は出版者のほうの意向らしい?)はわかりませんでしたが、村上春樹の幻の解説(「キャッチャー」の時に許してもらえなかった解説だそうです。契約の関係らしいけれど、サリンジャーってまだ生きているのですね。)が入っていました。
作者二人は、「キャッチャー」について、そしてサリンジャーについて、延々と語り続けます。
“「キャッチャー」が大好きだというのは、声を大きくしていいにくいと言うところがちょっとある。読者層に対する反感みたいなものと、本の内容に対する評価というのが、きっちり分離されていないところがある。・・すぐれた物語というのは、人の心に入り込んできて、そこにしっかり残るんだけど、すぐれていない物語と機能的に、構造的にどう違うかというのを、わかりやすく説明できない。それをすらっと説明するための語彙とかレトリックとかを、僕らはほとんど持ち合わせていない。・・でも世間の多くの読者は、読んだ本が心の中に意味もなくしっかり残っちゃったりすると、不安でしょうがないんです。・・だから、なんとかそこのところを言葉でからめとろうとすると、・・制度化が始まってしまう。”
村上春樹は24年生まれ(昭和です)だから、まあ同年代で、同じ頃 ご近所の三角地帯 に住んでいたらしいし、「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウエーの森」は物置でほこりにまみれていたのを発見しました。でもそのあとは一切読んでいないので、村上さんがノーベル賞でも取ったら読むことにしましょうか。