壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

明治日本散策  エミール・ギメ

明治日本散策 東京・日光 エミール・ギメ  フェリックス・レガメ(挿絵)

岡村嘉子訳 角川ソフィア文庫  Kindle unlimited

パリ国立東洋美術館(前身はギメ宗教博物館)の創始者であったエミール・ギメが、明治9年に日本を旅した際の紀行文の新訳が、手に入りやすい形になっていました。同行した画家フェリックス・レガメの挿絵があり、読みやすく、理解しやすい本です。ギメの西欧文化に囚われない自由闊達な視点と、軽妙な文章が面白くて、何度も笑わせられました。

 

明治の初め、東京の一部は西洋化が進んでいましたが、江戸の雰囲気を色濃く残すところはたくさん残っていました。そのような古き良きものを探して、ギメは散策しています。ギメの目的は単なる観光ではなく、宗教と文化の調査でした。

日光東照宮へは人力車に乗って駆け抜けるように訪れ、日本における仏教の変遷を考察しています。泉岳寺では四十七士へ思いを馳せ、上野では寛永寺の来歴と不忍の池に伝わる伝承を紹介し、浅草観音の賑わいと庶民の信仰と暮らしを堪能します。芝増上寺では、廃仏論者によって放火された本堂跡に立ち、ギメは「日本人が西洋化に駆られて、今まで持っていた素晴らしいものを性急に捨てようとしている」と嘆いています。神仏分離など明治政府の伝統的習俗の禁止について、「日本が自分たちを見直すときが、いつの日か訪れるのではなかろうか」と…。

宗教ばかりでなく、音楽や絵画にも並々ならぬ興味を持ち、滑稽画の分野で優れた作品に注目します。それは河鍋暁斎でした。為政者たちの反感を買い収監された経験のある暁斎を、周りの日本人は恥ずかしく思っているのか、初めは名前さえ教えてもらえなかったようです。画家のフェリックス・レガメと共に暁斎に面会した場面が素晴らしく、感動しながら笑ってしまいました。

二人の画家が互いに肖像画を描き合って、ギメが「まさにこれは決闘なのだ!」

ギメはジョサイア・コンドル(暁英)よりも前に暁斎を〈発見〉したんですね。

同行画家フェリックス・レガメの『明治日本写生帖』も読み放題になっていて、覗いてみました。

もう一つ面白かったのは、ギメが日光で輪廻転生について考えながら、一羽の燕を見て

おそらくあの燕は、旅行好きのイギリス女性にもなって、オペラグラスをぶら下げ日光に再びやってきては、お寺の様々な事物に驚くのでは なかろうか。

とありました。仁王門の前にいる西洋女性の後ろ姿を描いたレガメの挿絵さえあります。 これってイザベラ・バードの事を予言しているの? ギメの二年後にバードは日光を旅していますので(笑)。