壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

日本奥地紀行

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日本奥地紀行 イザベラ・バード
高梨健吉訳 平凡社 東洋文庫 1973年 

明治維新間もない頃に英国の婦人が日本人の通訳を一人連れて北日本を旅行するというだけでも、他に類を見ないことですが、イザベラ・バードの紀行文が率直でかつ巧みで面白いものですから、当時のイギリス人たちのオリエンタリズムを満足させたに違いありません。

しかし今日私たち日本人が読んでも面白いのは、イザベラ・バードの視点に優越感や傲慢さがなく、誤解のない表現を心がけていたためでしょう。悪臭や蚤や虱、蚊に悩まされ続け、初めて西洋婦人を見る人々の好奇の目にさらされながらも、三ヶ月に及ぶ困難な旅を強固な意志で続けています。日本が安全な国であり、人々が礼儀正しいことは繰り返し強調されていました。

東京から日光、新潟、会津、山形、秋田、青森、函館と旅し、北海道ではアイヌの村で生活をしています。同行した通訳は伊藤という忠実であるが利に聡い18歳の若者で、イザベラとのやりとりはとても面白いのです。イザベラが人里離れた大自然西洋文化の影響のない貧しい農村の様子を知りたいと思うのに対し、伊藤は身体的に過酷な旅程を避け、貧しい人々については日本の恥になるからとあまり見せたくない様子です。しかし、イザベラは伊藤の助言を無視することなく、伊藤も彼女に熱心に仕えていました。

この「日本奥地紀行」よりも20年近く後に書かれた「朝鮮紀行」では政治的背景が詳しく解説されていますが、日本では政情が安定していたこともあり人々の日常生活がもっぱらの関心事でした。快適な観光旅行ではなく、イザベラ・バードを身体的にも精神的にも過酷な冒険に駆り立てたものは何だったのだろうか知りたくて、伝記を読みました。

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イザベラ・バード旅の生涯 O・チェックランド
川勝貴美訳 日本経済評論社 1995年 2800円

あれだけ過酷な旅を続けたイザベラ・バードですから生来頑健な体質だったのかと思いましたら、意外にも生まれたときから脊椎に不具合があって、気鬱で何日もベッドで暮すような日常だったようです。20代から30代にかけて父と母を亡くし妹だけが身寄りでしたが、病気療養のためと出かけた船旅の途中で寄り道したハワイ、北アメリカロッキーで何故か危険な冒険に出くわし、すっかり元気になってしまったのです。

旅の途中で妹に書き送った手紙を、帰国後まとめて出版したところ評判になり、旅行作家としての地位を得ました。祖国イギリスにいる時には、世間や家族などに縛られるヴィクトリア朝時代の女性でしたが、外国では自由に自分の思うように生きられることが、彼女を旅へと駆り立てたようです。紀行文が大評判だった事ももちろん大きな理由でしょう。

妹と死別したのち48歳で日本を旅行し、50歳で10歳年下のイギリス人医師と結婚し5年後死別、インド、チベットアルメニア、トルコ、朝鮮、中国、モロッコと旅行しながら著作し、73歳でなくなりました。まさに旅の生涯でした。ロッキーの旅はロマンスがあり、中国奥地の旅行は命の危険にさらされました。空間的にも、時間的にも、遠い国の話には心を惹かれるものがあるのです。とはいえ、イザベラ・バードの旅は、 “大英帝国”の威信のようなものを感じさせることも確かです。