壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ヘーゼルの密書  上田早夕里

ヘーゼルの密書  上田早夕里

光文社  電子書籍

著者の上海シリーズは、『夢みる葦笛』の中の「上海フランス租界祁斉路三二〇」、『破滅の王』に続く三作目です。SF的な要素はすっかり消えて、骨太の歴史小説になっています。満州事変、上海事変を経て日中戦争が拡大していく中でも、中国と日本の間で和平工作が進められていました。蒋介石政権との交渉がいったん頓挫した後も、1939年から1940年にかけて、さらに粘り強く和平を望む人々を描いた物語です。

上海租界で語学教師をしている倉知スミは、日本人自警団と中国人との争いに巻き込まれて大怪我をしたのですが、それでも戦争の回避に向けて努力する生き方を選んでいます。スミは通訳として、上海自然科学研究所の研究員と料理人、通信社の記者などの民間人と共に、和平工作機関に協力して密書を蒋介石へ届けるという任務にかかわっています。

帝国陸軍の大佐、日本大使館の書記官が、榛〈はしばみ/ヘーゼル〉という暗号名の工作ルートの責任者です。しかし、日本政府も軍部も一枚岩ではなく、戦争拡大派による妨害工作があり、国粋主義者やスパイが暗躍して油断がなりません。中国側の蒋政権内部にも抗日派と和平派があり、状況は混沌としています。

〈榛ルート〉のエピソードはフィクションです。史実の中で、和平工作が実現できなかった事を知っている読者ですが、それでも小説の手に汗握る展開にすっかり引き込まれました。1941年、太平洋戦争が開戦してから、スミはどんなふうに上海で過ごしたのでしょうか、将来へのかすかな希望を持って小説は終わっています。

 

歴史の深い闇の中で続いてきた日中関係が、一筋縄ではいかない事を実感しました。浅田次郎の『蒼穹の昴』シリーズの続きも、小川哲『地図と拳』もますます読みたくなってきました。