壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

娘は娘  アガサ・クリスティー

娘は娘  アガサ・クリスティー

中村妙子訳 クリスティー文庫 電子書籍

メアリ・ウェストマコット名義の六冊のロマンス小説のうち、三冊目です。未読だと思っていたのにKindleのマイライブラリーに入っていて、読了となっていました。誰が読んだの? 私? 読み始めたら、既読だったことを思い出しましたが、再読。

 

16年間前に夫を亡くし、現在19歳の娘セアラを大切に育てたアンはまだ41歳。若い母と年頃の娘は強い絆で結ばれているようです。

第一部:セアラがスイスにスキー旅行に出かけている間に、アンは友人の紹介で知り合った男性と婚約します。しかし、セアラが帰宅すると大騒動が起きます。甘やかされて育ったセアラは母離れができずに母の婚約者を拒絶し、婚約者の男性もまた不器用な大人げない態度でセアラと接し、二人は激しい言い争いを繰り返します。その争いを直視できずに問題を先送りするアンもまた、子離れの出来ない母親でした。

第二部:婚約者が去り、アンとセアラの間に深い亀裂が入ると、二人は互いを傷つけあうようになり、アンもセアラもそれぞれに享楽的な生活をおくるようになりました。仲の良かった母娘が、表面的には取り繕いながら、冷たく意地の悪い言葉を投げ合うさまが怖いほどです。

第三部:二人の関係は修復可能なのでしょうか。依存しあうことなく、それぞれに自立できるのでしょうか。最後までハラハラさせる筋立てです。

 

緊迫した心理劇、三幕の舞台の脚本を読んでいるような印象でした。場面のほとんどはアンとセアラの母娘が暮らす4Fのフラットの部屋です。登場人物も少なく、アンとセアラと、二人のそれぞれの恋人たちです。ロマンス小説というだけあって、ありきたりな会話、陳腐な展開もありますが、母娘という普遍的な関係とその深層心理を象徴的に描き切っていると感じました。(クリスティーも現実に一人娘が居るんですね)。

場違いの諺を連発するアンの家のメイドのイーディスがユーモラスで、アンの年上の友人であるデーム・ローラの理性的だけれど人情味のある様子が、とてもいい味付けになっていました。デーム・ローラの持論である「砂漠瞑想論」はまさに『春にして君を離れ』そのものでした。

 

メアリ・ウェストマコット名義の『愛の重さ』もKindleのマイライブラリーで見つけました。未読のようで、そのうちに。電子書籍なのに積読本がたくさんあるの……。せめて、私の命が尽きるまでKindleが存続してくれることを願います。