壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ヨーロッパ退屈日記 / 女たちよ!  伊丹十三

ヨーロッパ退屈日記 伊丹十三

新潮文庫

女たちよ!  伊丹十三

新潮文庫

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文庫本のあとがきで,関川夏央氏はこう書いています。

“『ヨーロッパ退屈日記』は,1965年の高校生にとって一大衝撃だった。”

まさにこの言葉に尽きるのです。そのころに高校の級友に貸してもらって読みました。多分クラスで回し読みをしていたのでしょう,もう50年以上も前になるのですが鮮明に覚えています。高校生にとって何が衝撃だったのか,ヨーロッパの見たこともない文化に驚いたこともあるのでしょうが,伊丹さんの強烈な美意識と,ここまで個人的価値観を表明しても許されるのか!という点だったと思います。個人の「好き」「嫌い」を,「正しい」「間違い」という基準に置きかえて論じるその手法に驚いたのだったかもしれません。

さらに『女たちよ!』ではその個人的価値観を説きながら,いまでいう「上から目線」で,うっすらと反感をかうようなスタイルで「男たち」の生き方を指南するこの本を,私たち女はどんな風に読んだのかと今になって思います。この本が出た当時,ダサい女子高生だった私は「女たち」という当事者意識(笑)を持っていなかったのでしょう,大した反感を持ちませんでした。当時の社会のルールから外れた個人的価値観をとても面白いものに思いました。若かったから,二十歳前だったから,受け入れることができたのでしょう。

級友に貸してもらったあと自分で購入して読み返していたけれど,いつの間にか処分していました。先ごろ文庫本を見かけて懐かしくなり,また購入してしまいました。今,読み直してみると,この本の内容を上質な冗談ととらえたにしても,「この男,面倒くさー」と思う箇所が多々ありました。当時は著者自身もその面倒くささを抱えていたに違いない! そしてその面倒くささやこだわりを伊丹さんは映画の方に持って行ったのではないかと思います。

 かつて衝撃を受けた2つのエッセイでおぼえていたのは,「正しいスパゲティの食べ方」くらいです。その後の私の人生で,ヨーロッパへ行ったこともないし,ヨーロッパの正しいブランドものを一つも持っていないし,スパゲッティだって箸で食べているし,伊丹さんの指示に従ったことはないと思っていました。でも自分の価値観の中に無意識に入り込んでいたものを見つけました。個人的価値観を大事にして,常識にとらわれない生き方を! (時々 非常識?)