壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

アフリカの日々 イサク・ディネセン

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アフリカの日々 イサク・ディネセン
横山貞子訳 河出書房新社 世界文学全集I-08 2008年 2800円

第一次世界大戦が始まったころ、20代の終わりにスウェーデンの貴族と結婚してアフリカに渡り、その後17年間に渡ってケニアでコーヒー農園を経営した女性、デンマーク生まれのカレン・ブリクセン(=イサク・ディネセン、アイザック・ディネーセン)が描いたアフリカの記憶です。読み終えてボーッとするくらい素晴らしかった。

アフリカの雄大な大地に広がる繊細な自然、高地を渡る清明な風と野生動物たち。農園で働く現地の人々との交流、家畜の様子、農園を訪ねてくる友人たち。その観察力の精緻さと文章力の確かさで、最初の数ページを読んだだけでその世界に引き込まれました。

当時のケニアは、イギリスの植民地でした。現地の住民であるキクユ族は農園の借地人として働き、マサイ族は植民地政府に移住させられて農園の周りに住んでいました。回教徒であるソマリ族は、いくぶん文明化しています。植民地政府のイギリス人、その下で働くインド人、この地に入植しているイギリス人やその他のヨーロッパ人など、なかなかに複雑な社会でした。

その中で、広大な農園経営の責任を負っているのですから、いろいろなトラブルがディネセンの元に持ち込まれます。事故で死んだ子どもの賠償をどうするのか、文明社会とはまったく異なる価値観で進められる交渉を、かすかなユーモアを内に秘めつつ、時間がかかればかかるほど良いというアフリカの尺度を尊重して眺めています。

現地の人々や動物たちのエピソードはすばらしく面白いものばかりです。先進国の白人であるディネセンの視点でアフリカを眺めるとき、斜め上から見下ろすような偏った視線は一切無くて、対象物を真上から偏りなく見渡すような視線をもっています。真上から光を当てると影がほとんどできないように、影の部分はあまりなくて、アフリカの輝かしい部分や幸せの記憶だけを抽出して結晶化させたようなものばかりです。

農園経営が破綻し、ごく親しい友人を事故で失い、アフリカを出て行かなければならない苦しい時期が最後の章であくまで淡々と描かれています。解説を読むとカレン・ブリクセンはなかなかに波乱万丈の人生を送っているようなのですが、作品の中ではそういうことはかすかにしか触れられていません。

この作品が「愛と哀しみの果て」という邦題で映画化されているそうですが、この作品で彼女があえて描かなかった不幸な愛情生活がかなりの主題になっているような気がするので、見ないでおきましょうか。