壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

物理の散歩道 ロゲルギスト

・・・・・ただいま・・・・・

長い間家出をしていて、そっと戻ってきたような、ちょっと後ろめたいような気分です。
 
この二ヶ月間、考えるところあって自分の生活を見直そうと無駄な努力をしたり、頭の中がとっ散らかっていました。そろそろ一周忌で納骨もしなければ・・・・等等、親族のことで忙しいこともあったり、地デジ化してTVが良く見えるようになってTV漬けになったり、園芸に夢中になったりと、・・・ふとある日、ブログを休んだきりになっていました。頂いたコメントも放りっぱなしですみませんでした。
 
でもでも、本を読むスピードがどんなに落ちても、やはり、読書は私の人生の一部。『読むことは書くこと』というブログを始めた当初の気持ちを思い出して、定期的な更新を心がけたいと思います。またどうぞよろしくお願いします。
 

休んでいる間は、数冊しか読めませんでしたが、かんたんなメモは残していました。


 
第三 物理の散歩道 新装版 ロゲルギスト
岩波書店
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1960年代初めに書かれたサイエンスエッセイの新装版を図書館で見つけました。当時の日本は東京オリンピックの前後で、この巻には今で言うところのスポーツ科学が多く取り上げられていて懐かしい思いです。物理の分野だけでなく、「ヒマラヤの登頂報告の真偽と科学論文の信憑性」にも考察が及んでいます。
 
なかでも面白かったのは「数理倫理学序説」です。人間の行動の規範を示す倫理学は、いわば人生の知恵のようなもの。その知恵の一つとして、確率や統計に基づいて物事を判断する方法があるというのです。善か悪か、白か黒かという二元の判断基準ではなく、白と黒の間には段階的なグレーゾーンを考えるという確率の考え方をもっと教育すべきだという主張です。現在は、天気予報や環境問題など複雑なシステムを予想するのに確率で議論されることは一般的になっているはずですが、本当に理解されているのか心もとなく思うこともあります。統計的な数字を悪用した似非科学によって、わけのわからない商品を売る悪知恵の方が進歩しているようです。
 
日常の身近な現象をやさしく考察するエッセイといえばもちろん、寺田寅彦の随筆集。(これはかつての愛読書でした。)科学技術が進むにつれて科学の細分化がおこなわれ、専門外の分野を理解することが難しくなっています。一般人にとってサイエンスがますます近寄りがたくなっている今、わかりやすいサイエンスエッセイがもっとあれば・・と思います。