図書館の新着コーナーから『跳躍者の時空』を借りてきましたが、フリッツ・ライバーは全く初めてなので、短編集から読むよりは長編から読みたいと、1940年代に書かれた初期の長編から手をつけることにしました。本書、「奥様は魔女」風の軽いコメディかと思ったら、魔術と科学の関連性が議論され、記号論理学を用いて魔術を公式化するとか、ガジェットもなかなかです。
大学で文化人類学を教えるノーマンは、最愛の妻の部屋で、奇妙な品々を見つけた。いずれも魔術の道具である。彼は妻を叱って、すべてを捨てさせたのだったが・・・・。そのときから、順風満帆かと思われていた彼の教員生活は、一転して不運にさらされる。さらに、学舎に飾られたドラゴン像は記憶と異なる場所に位置を変え、ついには妻が失踪することに。あの品々は、本当に彼の身を守ってくれていたのだろうか。(裏表紙)
「ちょっとした魔術によって大事な人の身を守ることは、大昔から続いてきた女の心得のようなもの」だとノーマンの妻タンジイは主張するのですが、科学者であるノーマンには受け入れがたいこと。いくら身の回りに超常現象が起きても、ノーマンは合理的解釈しかできません。失踪した妻を奪い返すために墓場の土を一握り手に入れて、やむを得ず魔術の手法を使う羽目になるのですが、科学者の良心にかけて迷信を受け入れることはできないと自分に言い聞かせます。魔術によって愛する妻タンジイの魂を取り戻したノーマンですが、最後までその事実を受け入れることができず、魔術的行為は有効なのか、すべてのことは妻たちの妄想に過ぎないのか、「ぼくにはさっぱりわからない」・・・。
すれ違う夫婦の会話、現実的な女性と観念的な男性の対比という普遍的でありふれたテーマが、魔術と科学というこれもまたありふれたテーマと重なって、なぜかとっても面白い物語になっています。『闇よ、つどえ』もよさそうです。