18世紀にロシア帝国が南に勢力を伸ばし始めたときから、チェチェンは大国ロシアに翻弄され続けていました。ソ連邦建設に伴って得た民族自治も、スターリンによってあっさりと覆され、大規模な粛清の対象となりました。さらに第二次大戦中にはナチス・ドイツに協力したとの言掛りで、中央アジアに強制移住させられ人口の三分の一を失いました。
フルシチョフのスターリン批判によって、チェチェン人は祖国に戻りましたが、その権利は著しく侵害されたままでした。ソ連邦の解体によってチェチェンは独立宣言をしたものの、エリツィンによって阻まれました。それが1994年に始まった第一次チェチェン紛争です。
14歳の少女ミラーナ・テルローヴァの自伝は、ここから始まります。年末恒例のダンスパーティーを楽しみにしていた少女は戦乱に巻き込まれ、隣国に難民として避難します。1997年に結ばれたはずの平和条約もむなしく、1999年にはプーチン政権のもとでロシア軍がチェチェンに侵攻し(第二次チェチェン紛争)、彼女が祖国に帰ったのは2000年になってからでした。
しかし、イスラム穏健派と過激派の内戦と、それに介入しコントロールするロシアによって経済は疲弊し、祖国の町も村も廃墟になっていました。多くの市民がなくなった後も、テロ撲滅作戦の名の下にロシア兵士による残虐な行為が続きました。
このころからチェチェンの悲惨な様子は少しだけ西側に流れるのですが、ロシアによって情報操作されて外側の世界との関係を断たれ、チェチェンの過激派によるテロ行為のみが強調されて世界の注目を集めています。チェチェンに好意的なジャーナリストたちが暗殺されても、世界は動きません。
2003年、10年もの戦乱を生きのびた彼女はボランティア団体の協力でフランスに留学し、初めて外の世界を見ることになります。ジャーナリズムを志してフランス語を勉強し、2006年にこの本がフランスで出版されました。世界から隔離されたチェチェンを少しでも知って欲しいという願いが込められています。
前書きにあるように、政治的な主張や解説ではなく、多感な少女が見たまま感じたままを書いたものです。戦乱の中で身近な死に囲まれていても、子供たちが欲するのは「普通の生活」。でもその普通の生活を送るのがどんなに大変なことか。でも彼女やその周りの人々の生きようとする強い気持ちが伝わってくる作品でした。