「Y氏の終わり」に出てきた『ミス・ラスロップのねずみ小屋』の話を確かめたくて探していたら、この本に行き当たりました。「免疫の意味論」という名著のある多田さんは、免疫学者にして新作能の作者でもあり、病で声を失った後もいくつもの著作があります。いまさら言うまでもないことだけれど、簡潔にしてわかりやすく、かつ奥深い文章です。
生命科学関係の本はあらかた読んだけれども、エッセイは初めてです。著者あとがきに「あちこちに書き散らかした随筆」とあるように、年代も初出誌も題材も多岐に渡っていますが、その「散らかり方」には一本筋が通っています。死を見つめ、その先の生を遠い眼差しで見通すような視点が感じられます。
「ビルマの鳥の木」では、国外からの援助を断たれ医療の立ち遅れたミャンマーでは「死」が身近に氾濫しているという。ヤンゴンのホテルの前の、鳥が無数に群がる一本の木の下で、強烈な生命の営みに隠れている死の声をきいたそうです。
同じ視点で「死のかくも長いプロセス」では、脳死や尊厳死の問題において、死の「感知」と「認知」の違いがわかりやすい言葉で議論されています。身近な人の「死」を直感的に「感知」することと、知識と概念によって医学的に「死」を「認知」することは明らかに違うものだということです。