壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

漱石とあたたかな科学

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漱石とあたたかな科学 文豪のサイエンスアイ 小山慶太
文藝春秋 1995年 1400円

我輩は猫である」で椎茸を齧って前歯が欠けた水島寒月君は、学者をカリカチュアライズしたような浮世離れした人物でしたが、どこか憎めないところがありました。モデルであるとされている寺田寅彦の随筆集で、漱石の俳句に触発されて落下する椿花の力学を考察した話は読みましたが、寺田が実際に椿を植え落下する花を数え、モデル実験をして研究誌に投稿していることまでは知りませんでした。

     落ちざまに虻を伏せたる椿かな  漱石

漱石が興味を持った科学に関する記述をきっかけにして、当時の科学を科学史の視点で語り、また同時に漱石の文学論にもなっているというとっても面白い本です。文学を自然科学の方法論によって語ろうとして苦しんだ漱石は、明晰な論理展開を持つ物理学に憧憬を抱いたのではないかというのです。

19世紀末に欧米でスピリチュアリズムに対する関心が高まり、ウィリアム・クルックスのような科学者が多く心霊主義への傾斜を深めていった時代にロンドンに留学していた漱石には、「琴のそら音」のような怪談もありますが、結局のところあちらの世界には踏み込まなかったようです。

虞美人草」の中で、博士論文を執筆中の小野という人物を否定的に書いた漱石は、文部省から一方的に授与された文学博士の学位を断固辞退したそうです。さらに、新聞の文芸欄に学士院恩賜賞制度に批判的な記事を書いています。その時に唯一人受賞したのが木村栄(ひさし)、Z項の発見者です。

日本史で[木村栄:Z項の発見]なんて丸暗記していましたが、Z項の発見にまつわるドラマを初めて知りました。まさに明治版プロジェクトX、起死回生と国威発揚の物語(笑)でした。

        ♪ 風の中のすばる ♪  

二十世紀の初め地球自転軸の正確な変動を求めようと、組織的な天文観測を行なう国際プロジェクトがドイツを中心に立ち上がった。科学後進国であった日本は、観測地点を提供するだけという屈辱的な扱いを受けたが、なんとか日本が直接観測させてもらうことには成功した。その実質的責任者は若き天文学者木村栄、29歳。

順調に観測が行なわれて一年余、日本を含む世界六ヶ所のデータを付き合わせたドイツの責任者から、「日本の観測値のみに大きな誤差があるので、観測体制を見直せ」というクレームの手紙が届いた。周りの日本の科学者たちが国辱だととらえる中、木村は引き下がらず問題の解決に日夜取り組んだ。機器をすべて調製しなおした。観測技術にも瑕疵はなかった。しかし誤差の原因は見つからず、木村は苦悩する毎日だった。

晩秋の夕暮れ、机の引き出しに入れてあったドイツからの一年間の観測報告書を見た木村は、世界各観測所のデータの誤差に周期性があることを発見した。間違っていたのは日本の観測値ではなく、ドイツが用いていたデータの計算式のほうだった。

翌年、従来の計算式に新しい補正項:Z項を加えることによってデータ同士の整合性が高まるという木村の論文は国際誌に発表され、世界に認められたのだった。日本のデータ誤差の大きさは、観測の精度がどこよりも高いためだという事実も明らかになった。

         ♪ 砂の中の銀河 ♪

何の話だっけ? そうそう、漱石が学士院恩賜賞制度に噛み付いたのは、木村栄の業績に対してではなく、お上の権威が学問の評価に口出しをすることに徹底的な嫌悪感を持っていたためらしいのです。漱石の反骨精神は彼のエネルギー源でもあったようです。

この本を読んで、漱石寺田寅彦を読み返したくなりました。「我輩は猫である」と「寺田寅彦随筆集」は一時期、愛読書でしたっけ。