久しぶりに図書館に寄ってみました。本が呼びかける声を聴いたように思い、新刊書の棚に見つけたこの本を手に取りました。初めてみる作家でした。ゼーバルトは大戦中ドイツに生まれイギリスで暮らしましたが、2001年にノリッジで交通事故にあい、亡くなった作家です。イースト・アングリア大学で長く教鞭をとっていました。
原書はドイツ語です。1992年、旅の終わりに『わたし』はノリッジの病院にほとんど身動きできない状態で担ぎ込まれ、病室の高窓を仰ぎ見ながら、トマス・ブラウンからレンブラントの「解剖学講義」に思いをはせ、連想によってカフカ、ボルヘス、グリンメルスハウゼンと、自由自在に脱線しつつ思索を巡らせていきます。レンブラントの「解剖学講義」の遺体の解剖された左手は、実は右手であったなどという驚きのエピソードもありました。
イースト・アングリアのサフォーク州を徒歩で旅しながらも、時空を超えた旅をしているような、紀行文とも伝記、幻想小説ともつかない作品で、逸脱と反復を繰り返し、事実と虚構の間を何度も行き来し、写真と歴史的資料がちりばめられた、とても不思議な物語。
ごく個人的なエピソードも、「闇の奥」を書いたジョゼフ・コンラッドや「ルバイヤート」を訳したエドワード・フィッツジェラルドの話、「墓のかなたからの回想」のシャトーブリアン、ホロコースト、クロアチアとセルビア、アイルランド、太平天国の乱と蚕を愛した西太后などの残虐な歴史を物語る逸話も、重層的にではなく、同一平面上で語られます。そして土星の環の表面を廻ってきたように、最後にまたノリッジのトマス・ブラウンの元に戻ってくるのです。
イースト・アングリア海岸の荒涼とした風景、没落した領主屋敷、遺跡や遺物が呼び起こす過去の栄華を語り、現在の凋落と衰退を描き出すゼーバルトの筆致は、古きよき時代への郷愁、栄枯盛衰という諦観、悪夢のように悲惨な歴史の憂鬱、かすかな滑稽と皮肉を少しずつ感じさせてくれます。一文が長文であり取り付きにくい文章ですが、興味深いエピソードに惹かれて読み終えました。不思議な味わいのある作品です。
「わたしを離さないで」のキャシーたちのいたヘールシャムはこの地方にあるのかと、なんとなく思いました。