壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

震える山

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震える山 クールー、食人、狂牛病 ロバート クリッツマン
榎本 真理子訳 法政大学出版局 2003年 4500円

宮部みゆきのお初シリーズ 「震える岩」をgoogleしていて、入力違いで、ひっかかってきたのがこの本。 「Read Me!」というメッセージのようですので、図書館で借りてきました。副題にあるような「クールー」という感染症研究史だと思ったら、文化人類学的な要素の強い、梅棹さんの「モゴール族探検紀」のようなテイストの紀行文で、大当たりでした。昔「ニューギニア高地人」(本田勝一著)という本を読んだ事を思い出しましたが、そういったたぐいの冒険譚ではありません。

大学の学部で文学(文化人類学を含む)を専攻した著者が、人文科学をそのまま続けるか、医学部に進学するかどうか迷い、ひと夏NIH(国立衛生研究所)で働くのですが、そこでクールーの発見者であるGajdesek(ガイダシェックとかガイジュサックとか標記)と出会い感銘を受けます。そして、クールーの潜伏期間を疫学的に調査するため、1980年代の初めに、一年間、ニューギニア高地で過ごした話が、非常に率直な口調で語られます。

「クールー」という病気は、クールーにかかった人の脳を食べるカニバリズムという行為により次々と感染する病気ですが、過去には死者の葬式の一環としてカニバリズムの饗宴があり、それに参加してから発病までの状況を聞き取り調査しています。しかしハイゼンベルグ不確定性原理のように、文化人類学においても、調査の対象者に影響を与えることなく調査はできないことを嘆いています。

フォレ族は石器時代さながらの暮らしをしながらも、一部ではピジンイングリッシュを使い、心理的駆け引きに長けているため、著者は振り回され通しです。二十代前半のまだ専門家でもない学生が、ほぼ一人でこれほどの困難をよくやり遂げたとおもうほど、文明からかけ離れた地で、厳しい自然と全く異なる価値観、世界観に直面しました。もちろん近くには白人がいるのですが、ほとんどキリスト教の宣教師で、ラビの家系の末裔である著者は、そこはかとない疎外感を持っているようでした。

とても思索的で、物事の究極をつきとめたい、世界とは何かを知りたいと考える著者の眼差しは、控えめでありながら、人に対し暖かく、何故かオリバー・サックスを思い出してしまいましたが、ユダヤ人・医学者という共通したバックグラウンドのせいなのでしょうか。“不治の病気とその受容”という観点が共通なのかもしれません。

イメージ 2ニューギニアから戻ったクリッツマンは、将来の進路を医学と人文科学のどちらかにしようという迷いを捨て、文化人類学的な見方から理解する精神医学をこころざしました。病気がどのように自己受容され、また社会的にどう受容されたらいいのかを、ずっと思索し続けているようです。エイズに関する著作がありますが、残念ながら邦訳されていません。9.11の時、貿易センタービルで働いていた妹をなくしたというクリッツマン博士はとても悲しげです。

1997年、十数年後にニューギニアの同じ地を訪れた著者の話(後書き)もまた興味深いものです。そして、クールーの潜伏期間がほぼ20年である事をかつて突き止めたのですが、約二倍の潜伏期の患者が見つかり、BSE狂牛病)とnvCJD(新型ヤコブ病)とのいったん明らかになった関係に、遺伝的なバックグラウンドという新たな局面が現れるのです。

読んでいて何故か暖かな気持ちになる本でした。今日はいろいろ、いいことがあっったし、本も読みつくしてしまって、夜は久しぶりにTVで、ハリーポッター(第三話かな)を見ようと思います。