壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

失われた時を求めて

イメージ 1

失われた時を求めて(上 下) マルセル・プルースト
鈴木道彦 編訳  集英社

「震える山」の著者 ロバート・クリッツマンはニューギニアの奥地で、一人、プルーストを読み続けました。一年の滞在期間の終わりに、ニューギニアの海岸地方で知り合ったニュージーランド女性と、その出自と、プルーストとについての共感を持つのですが、ほんの一・二週間の間に彼女は事故で亡くなりました。そんな話から、プルーストを読みたくなったのです。書名は明らかでありませんが、たぶん「失われた時を求めて」でしょう、ずっと読み続けていましたから。最後の方の風景描写は明らかにプルースト風でしたし。

たぶん四十年近く前に、途中挫折した本ですのでもう全巻を読み通す気力はありません。年を取った分だけ、ちがう読み方もあるでしょうが。千夜千冊に上下二巻に編訳されたものの紹介があって、これを読むことにしました。抄訳とはまたちがうようですが、それにしても長いです。

プルースト独特の文章が最後までずーーーっと続くわけですから、読み始めはしましたが、図書館期限の二週間ではどこまで読めるのか疑問です。読了した本だけを取り上げるつもりで始めたブログですが、今回だけは例外的に読み始めたことを記録しておきます。少しプレシャーで読めるかもしれませんが、別に読む義務も責任もありません。ずっと小説を読んでいなかったので、他にも何冊か小説ばかり借りてました。別分野の本だと併読ができるのですが、小説同士をバッティングさせるのは無理です。

プルーストの、この饒舌な、語感をどういったらいいのでしょう。全く説明的ではないので、今自分が何を読んでいるのかわからなくなってしまうほどです。かなり集中しないとイメージを描くのが困難です。集中できればいいのですが。

当分、就寝前の一、二時間をこの読書に充てましょう。聴く音楽を選ばないと。読書時の音楽をここ一ヶ月ほどアンドレ・ギャニオンブラームスルプーが演奏している後期のピアノ曲)にしていたのをやめて、ヴァイオリン曲にしてみましょう。手元にあるのが、チャイコフスキーの協奏曲と弦セレ。メンデルスゾーンの弦楽シンフォニーもありました。フランクのヴァイオリン・ソナタも聴きたいところです。プルーストはこの第3楽章(今なら無料で聞けます)が好みだったとか。だからといって読み進められるわけではありませんが。ロバート・クリッツマンのように、現代文明から隔絶された環境で他には何の刺激も楽しみもないところで、ひたすら読み続けるというようにはいきません。

今日は、何かとても暑いと思ったら、最高気温30度超えの、全国で初めて今年の真夏日だったそうです。今日はテレビも見なかったので、ネットのニュースで知りました。暑いわけです。