壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

伝奇集 ボルヘス

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伝奇集 ホルヘ・ルイス ボルヘス 
鼓 直 訳 岩波文庫 520円

サフォンの「風の影」を読んでから、スペイン文学のジャンルを少し漁っています。

スペイン文学というか、ラテン文学は、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んだ覚えがあるだけです。今世紀になってマルケスボルヘスがいくつか出版されているので、図書館に借りに行きましたが、新しいのはなくて、古いのを借りて来ました。古い本は活字が小さくて読みにくいのですが、これは活字が大きくて読みやすい。

活字は大きいけれど、内容は読みにくい。架空の文明を記述している架空の百科事典の記事、架空の本の書評の形を取ったメタフィクション、オクシモロン(撞着語法)によって混乱するイメージ、理解しようとするほど逃げていく世界、不可知論の世界なのか何なのか、でも読みなれると不思議な魅力があります。なぜもっとボルヘスを読まなかったのかと思いました。

「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」では、ウクバールという文明のトレーンという文化を記述したオルビス・テルティウスという本は、架空の文明をテキストによって作り上げようとしたグループによって作られた架空の本なのに、現実世界を侵食してくる。(うまく説明できてない!)

架空の異世界をテキストから作り上げようという試みは、最近読んだ本ではル・グィンのオールウェイズカミングホームがあるが、ボルヘスあたりが系譜の起源だったのでしょうか。

「円環の廃墟」「バベルの図書館」も現実と非現実の間に位置し、曖昧かつ明確なイメージをもたらすのです。シュールリアリズムなのか、マジックリアリズムというのか、不思議な世界です。

「バベルの図書館」のイメージは圧倒的です。ボルヘス自身の言葉以外では要約できないので、図書館の構造と蔵書についての記述を抜粋します。

「(他の者たちは図書館と呼んでいるが) 宇宙は、 真ん中に大きな換気孔があり、 きわめて低い手すりで囲まれた、 不定数の、 おそらく無限数の六角形の回廊で成り立っている。 どの六角形からも、 それこそ際限なく、 上の階と下の階が眺められる。」

「図書館は永遠を超えて存在する。・・・その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である。」「図書館は無限であり、周期的である」

正書法上の記号は二十五である。(コンマとピリオド、二十三の文字からなる)」

「人間たちは、六角形を駆けずりまわっている。公的な捜査係、調査官がいる。明らかに誰も何かを発見できるとは思っていない。」

「広大な図書館に、おなじ本は二冊ない。」が「あらゆる言語で表現可能なもののいっさいをふくんでいる」「いっさいとは、未来の詳細な歴史、熾天使らの自伝、図書館の信頼すべきカタログ、何千何万もの虚偽のカタログ、これらのカタログの虚偽性の証明、真実のカタログの虚偽性の証明、バシリデスのグノーシス派の福音書、この福音書の注解、この福音書の注解の注解、あなたの死の真実の記述、それぞれの本のあらゆる言語への翻訳、それぞれの本のあらゆる本の中への挿入、なのである。」

「図書館はあまりにも大きく、人間の手による縮小はすべて軽微なものである。・・・それぞれの本が唯一のかけがえのないものだが、しかし千の数百倍もの不完全な複写が、一字あるいは一つのコンマの相違しかない作品が恒に存在するということ。」


これはまさに、資料のデジタル化が進み、世界中の図書館のデータベースがさらに大きいデータベースに統合されて、ネットに繋がり、あらゆる雑多な、無限にコピーされる情報の海にさまよう現代の、メタファーですね!

「記憶の人、フネス」も面白い。(オリバー サックス 「火星の人類学者」夢の風景に言及あり)

「ユダについての三つの解釈」架空の神学者に関する記述のようですが、知識のない身には衒学的過ぎます。でも、昨今のダビンチコードブームにマッチしているような気がします。

ラテンアメリカ文学の沼に一歩踏み出してしまいました。