壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

読書の歴史 あるいは読者の歴史

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読書の歴史 あるいは読者の歴史 アルベルト・マングェル
原田範行 柏書房 1999年3800円

イメージ 2図書・書誌学の分類に属する本で、「ロジェ・シャルティエ/編 読むことの歴史 ヨーロッパ読書史」と、どちらを借りようか迷い、変な本の方をかりた。学問的な構成ではなく、最初の章が「最後のページ」、最後の章が「見返しのページ」で、著者はアルゼンチン生まれ。装丁が平凡なのに、何かボルヘス的な匂いがしました。

「最後のページ」にある著者自身の読書体験を読んだとき、共感する部分が多くびっくり。マングェルは1948年生まれだそうですので、年齢だけはさほど違いません。しかし、アルゼンチン生まれのユダヤ人で、父親が外交官で英語スペイン語仏語独語が自在だそうなので、ヨーロッパの文化的な厚みを持つ読書体験を、自身のものと比較するのは気が引けるのですが、初めて文字というものを認識し、記憶しているのは、たしかに4歳頃のことでした。

私は童謡のレコードを聴いていて、その童謡の歌詞がのっている絵本を見ていたのです。教えてもらったのでしょうが、歌詞を文字であらわす事ができると認識したのを覚えています。「おひゃくしょうさんありがとう」という一節はどんな題名の童謡だったのか、もう思い出せません。でも絵本の、この部分のひらがなだけを覚えています。

やはりマングェルは、若い頃ボルヘスに出会っていました。それも本の中でなく、現実の世界で。二年間、盲目の図書館長に本の朗読をしたそうです。その読書スタイルにふれ、読書とは累積的なものであり、幾何学的な列をなして進んでいくものだということを知ったそうです。著者の蔵書は自身の奇妙な連想によって並ぶことがあるそうで、アルファベット順、地域や時代順、文学体系というものさえ恣意的なのかもしれないといいます。

軍事政権下のアルゼンチンにおいて一部の書物が禁書処分になったように、全体主義政府は自由な読書を恐れるけれど、もっと一般的にも、読書という秘密めいた個人的な行為は、高踏的で他を寄せ付けないものとして排斥される場合もあるといいます。

「読書の歴史は文学の歴史に対応するものでなく、ある特定の作家の作品に関する読書の歴史は、作家の最初の作品を読むことによってではなく、その作家の、未来の読者の著作を読むことによって始まることが多く、過去の読書の歴史は、実は私たちの将来にある。」ということが、最初の章が「最後のページ」、最後の章が「見返しのページ」で、本の外にまで広がりをもち、また戻ってくる本ということなのでしょう。

あまりに興味深い本で所有したい気持ちを抑えがたく、目次に沿ってメモを取ることでバーチャル書庫に収めることにしましょう。世界14カ国で出版されたという本書の表紙も並べてみます。ネットにいろいろ見つかりました。上から、ポーランド、カナダ、英米paperback、英米hardcover、デンマークスペイン語、イタリア語、フランス語だと思いますが、自信はありません。スウェーデン、ドイツ、ブラジルは類似の表紙で、ロシア語のはどう探したものか、わかりません。

最後のページ
読書すること
1 陰影を読む:視覚と言語認知の話。光と視覚の科学などにあったアルハーゼン(アル=ハイサム)に出会った。光と認知の関係は繰り返しでてくる主題。

2 黙読する人々:文字は最初音読するもの、つまり、音の記号と考えられていたはずで、黙読の歴史はずっと後から始まる。音読が黙読にとってかわられると、読書が個人的な意味合いをおび、聖書を黙読する事から異端がはじまった。

3 記憶の書:口承時代には、書物は記憶と知識の手助けでしかなかった。今日の記憶はデジタルでアレクサンドリアの図書館よりも大きな蔵書に簡単にアクセスできる。ペトラルカの読書法は、書物から発想や表現を引き出し、読者が記憶の中に保存してある別のテクストと結びつけ、読者自身の新たなテクストを作り出す。

ブエノスアイレスで、詩の暗唱を勧めてくれた先生は「読みたくても書物がないとき、いつも君と一緒にいることになるのだよ。」と、ザクセンハウゼン強制収容所で殺害された父親が、周囲の人に歩く図書館として朗読してあげていた話をしてくれた。

4 文字を読む術:文字を習得し、逐語的に字義を理解するために学ぶことと、そのためのノートブックの話。

5 失われた第1ページ:字義通りの読み方や歴史的な読み方とは異なるアレゴリカルな読み方について。世界に首尾一貫性があったにしても理解できないと考えたカフカの、その完結しない作品に、読者は永遠の可能性を見出す。

イメージ 36 絵を読む:コデックス・セラフィニアヌスCodex Seraphinianusという、意味不明のアルファベットからなる挿絵入りの奇妙な本。リンクからUS版を全頁(350頁あまり)眺められるのですが、amazonで、イタリア語版が15万円くらいで、US版が8万円というしろもの。
奇妙な生物、incredible machineのような機械、奇怪なヒトや都市、料理や風俗、そして全く意味のない文字から異世界を組み立てるのは、たしかに面白い。聖書の装飾写本や、貧者の聖書といわれる、図版入りの聖書の意味。イメージ 4

7 読み聞かせ:時代を通しての朗読の様子。キューバの労働運動における朗読会。識字率。一人で読むことととの違い。

8 書物の形態:メソポタミアの粘土板、パピルス、羊皮紙。巻子本か冊子か。コンピューター画面は巻物のよう。(「写本」は文脈からすると「冊子体」の意味で使われているが、わかりにくい。辞書では、codexは写本だが、冊子体という意味があるはず。)

大型本を読むための椅子cockfighting chairs(オンラインブリタニカ図、readingchair)は後ろ向きにすわる。

イメージ 5そして、印刷技術。グーテンベルグ以降も手書きテクストが廃れたとはいえない。電子化された本の登場後も、印刷物は減っていない。モバイル化する書物とペンギンブックス。ミニチュア本にやオーデュボンの「アメリカの鳥類」大型本。

9 1人で本を読むこと:どんな場所で、どんな格好で読むか。屋内、戸外、ベッド、椅子、列車。
小学生の頃、一日に一冊は本を読んでいて、通学の電車に乗っては駅を乗り過ごし、ランドセルを背負って歩きながら、夜はふとんをかぶって蛍光灯スタンドを持ち込んで、ひたすら読み続けた事を急に思いだしました。もう半世紀近く前の事で、自分の部屋を持ってからは、読み放題でした。

10  読書の隠喩:読書が隠喩するものと、読書を隠喩するもの。読書という行為は、人間のあらゆる行為のメタファーと考えたホイットマン。書物は神の言葉そのものである、ユダヤ教キリスト教イスラム教。人間もまた読まれる書物である。読書のメタファーとしての美食。

読者の力
1 起源:書き手と読み手の関係にはパラドックスがある。書き手が存在をやめ、テクストが完成したのちに、読者が現れる。メソポタミアにおける銘板の起源。解読不能な文字を持った文明の悲劇は、読者を失ったことでもある。エトルリア語はいまだ解読されない。

2 宇宙を創る人々:世界最古にして最大のアレクサンドリア図書館は、世界全体の記憶装置。シュメール文明の図書館の目録製作者は「宇宙を創る人々」と呼ばれた。アレクサンドリア図書館の50万冊の書物目録を作ったカリマコス。分類と目録は宇宙を体系化すること。ボルヘスの無限の図書館。読者は決定付けられた範疇から書物を救い出さなければならない。現代のアレクサンドリア図書館の話はなぜか出てこない。

3 未来を読む:予言の書としての聖書やウェルギリウス箴言。どんな書物のテクストも、読者により、別のコンテクストに置き換えられ、再創造される。

4 象徴的な読者:読んでいる本・所有する書物が、読者に与える象徴的な意味合い。自分が読んでいる本をバッジのように考える読者。インテリアとしての書物。女性の読者の歴史。ヒトラーが読んでいたカール・マイ「銀の湖の宝物」の運命。

5 壁に囲まれた読書:女性という特定の読者のみに向けられて書かれた書物。宮廷女性文学としての源氏物語は世界初の小説。枕草子更級日記。いったん英語やイタリア語に訳された日本の古典の一節を、さらに外国語から翻訳された日本語で読むことは不思議な感じ。

6 書物泥棒:本に対する所有欲。蔵書は人生の目録。蔵書を失う喪失感。財産としての書物。書物収集。図書館から書物を泥棒する伯爵サー・フレデッリク・マッデン。読書はすべての感覚器官が働くような身体的行為であるため、所有欲が強く働く。他人の所有物に対する律儀さも念頭に置かれる。書物を所有しているだけで、知識を持っていると誤解してしまう。ある書物の所有者でありたいという一瞬の気持ちは、読者に遍く見られるはずである。そうです!全く同感です、この本欲しいなあ。

7 朗読者としての作者:作者自身が作品を朗読する朗読会は、古代ローマからあり、ダンテはラテン語でなく自国語で「神曲」を朗読したという。チョーサーの「カンタベリー物語」も朗読を経て修正が加えられたに違いない。19世紀には、ヨーロッパ全土で朗読会が盛んであり、チャールズ・ディケンズはプロの演技者であったという。作品執筆が作者による一種の魔法であると盲信する読者は、作者の顔を見て署名本を手にしたいと願う。マングェルは、盲信という言葉で、こういう読者に冷ややかな眼を向けているようです。「作家ではなく、作品に興味があるのだ」という某作家の言葉が思い出されます。

8 読者としての翻訳者:ルイーズ・ラペのソネットを独訳したリルケをめぐって、詩の翻訳をどのように考えるか。原作以上にその意図を掘り下げることは曲解とはいえない。そして聖書さえ翻訳を経て変容していく。ポリグロットである著者ならではの一章。

9 禁じられた読書:アフリカ系アメリカ人に何世紀もの間禁じられてきた読書。独裁者たちによる検閲、禁書、焚書。1966年にカトリック教会が破棄した禁書目録。読者が自分の読みを作り上げるのは、嘘をつくということではないが、どの読者も嘘をつく事はできる。ある教義や、奴隷所有者の権利や、暴君の権威のためにテクストを故意に都合よく解釈してしまうことも、できないことではない。

10 書物馬鹿:視力の問題。近視、老眼。眼鏡が象徴するもの。セバスチャン・ブラントの「阿呆舟」。カイゼルベルグの書物馬鹿の七つの類型。第二次大戦後、空襲され破壊されたロンドンの図書館の残骸の中で本を探し読む人の写真。

ああ、本を読むとは何を意味するのでしょう。

「我々は、ただ、わけもわからずに読む。・・・・・・あたかも「我々の墓場の上を歩いている」かのように、あたかも我々の奥底に眠る記憶を蘇らせているかのように。まさかそこにあるとは思わなかったものを認識したり、あるいはわずかなきらめきや影として感じていた亡霊のような形象が俄かに立ち現れ、それと分かる前に我々の背後へと通りすぎてしまい、ただ残された我々は年をとり、いくらか賢くなるばかり・・。」

見返しのページで、マングェルは、まだ書かれていない、「決定版 読書の歴史」について語る。「まだ終わっていない」と。