壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

ある男  平野啓一郎

ある男  平野啓一郎

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耳からの読書ではあるが、初読みの平野啓一郎作品。夫を亡くした女性から相談を受けた弁護士の城戸の目線で物語が進行していく。事故死した夫の死後に、夫が全くの別人であることが判明し、誰と結婚していたのかと戸惑う女性からの相談だった。城戸はこの男(ある男)はいったい誰なのかという謎を追いかけ始める。

話の筋はミステリのようであるが、単にミステリとして読んでしまうのは勿体なさ過ぎる。自分を捨てて別の人生を選んだ男の心情は、自分の出自にわだかまりを持つ弁護士の城戸のそれと呼応していて、深い思索をもたらしている。アイデンティティ、差別、加害者家族などの問題はソフトに扱われている。活字を読む読書ではつい早読みをしてしまうが、耳から聞く読書は一定の速度で情報が入ってくるので、城戸の心の襞を描写する文章を一言一言味わいながら聞くことができた。

名前を偽ってまで別の人生を選び、その結果短いながらも幸せな暮らしを手に入れる事の出来た〈ある男〉。その亡き男を想う家族の思いが語られる最終章は感動的で、哀しいけれど幸せな気持ちで涙を流さずにいられなかった。 映画もあるらしいが見ないでおこう。