壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

どぶどろ  半村 良

どぶどろ  半村 良

扶桑社BOOKS文庫  Kindle unlimited

1970年代に書かれた時代小説ですが,宮部みゆきに「いつかこんな小説を書いてみたいと思いました」と言わしめ、また彼女の長編時代小説『ぼんくら』のヒントになったそうです。7編の連作短編と長編1編からなる,変則的な構成が特徴です。まさに『ぼんくら』と同じなのです。宮部みゆき時代小説ファンならぜひ読みたい作品です。

短編は「いも虫」「あまったれ」「役たたず」「くろうと」「ぐず」「おこもさん」「おまんま」。どれも江戸の片隅に暮らす庶民の人情噺です。同じ人物が時たま登場するので,連作であることはわかりますが,それぞれ独立した短編として成立可能です。しかしまた,七つの短編がすべて,次の長編のプロローグとなり,登場人物の紹介にもなっています。

長編「どぶどろ」の主人公平吉は,ここで初めて登場します。田沼失脚後の松平定信による寛政の改革の頃でしょう。岩瀬伝左衛門(山東京伝の父)が町役人をつとめる銀座の町屋敷の下僕として働く若い平吉は,岡っ引きのような役割を持っています。短編で描かれた人々が次々に登場して,その行く末が明らかになり,平吉とその仲間が殺人事件を追います。

以下ネタバレ

しかし,これは時代物のミステリとしては完結していません。時代の権力者たちの汚い争いに,無慈悲に巻き込まれていく庶民の哀しみが描かれるのみです。

短編部分で人情噺として始まり,長編の部分で皆に愛される平吉の人柄に微笑ましいものを感じていました。ところが,事件を追う内に平吉が世の中の闇の部分に気が付き始めます。そして最後に平吉の夢や希望が打ち砕かれ,絶望の中で迎える最期の様子に胸が痛みました。

気になったこと

「この字の平吉」は『およね平吉時穴道行』に同じキャラクターが出てきますが,並行世界の人物のようです。あちらの平吉はタイムトラベルしてしまいましたから。

東京下町生まれの半村良の本名は「清野太郎」です。吉と太郎,作者の思い入れがあるような気がします。

宮部みゆき『ぼんくら』の主人公の同心が四郎,その甥は美少年の弓之助でした。『どぶどろ』には,平吉の幼馴染みで美男の松之助がいます。こんなところも,宮部さんの半村さんに対するオマージュなのでしょう。