壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

黄金列車 佐藤亜紀

黄金列車 佐藤亜紀

角川書店 2019年10月

 

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第二次世界大戦末期のハンガリー、敗色の濃いブタペストからユダヤ人の没収財産を積んだ列車がドイツに向けて出発した。四十数両に及ぶその列車の運営と管理を任されたハンガリー大蔵省の官吏たちの物語だ。一見ドラマチックなところもミステリアスなところもないのにすごく魅力的だ。

黄金列車を狙ってさまざまな人間たちがお宝の略奪に現れるが、官吏たちは「正式な手続きと正式な文書と曲げられない理屈」という唯一の役人の武器で迫りくる敵たちを見事に追い払ってしまう。膨大な没収財産の細かいリストをすべて作り、やっかいな事態を切り抜けるために賄賂をおくるのにも、出庫証明と領収書を欠かさない。

筆者の硬質の文章はただ事実のみを書き記しているが、読むにつれて、モノクロの地味で重苦しい映画を見ているような不思議な感覚になる。下級官吏バログの若いころの回想の部分だけが色彩をもって時々挟み込まれ、その回想シーン―ユダヤ人の親友の家族ぐるみの付き合いとその終わりの物語―は、戦時の悲惨さとバログ自身の深い悲しみと決意を浮かび上がらせる。

米軍が迫りくる中列車を守ってトンネル内に退避する途中で物語が突然に終わり、読者は放り出されてしまうのだが、著者の巻末の覚書によってしばし納得する。史実の部分の参考書『ホロコーストと国家の略奪―ブダペスト発「黄金列車」のゆくえ』が図書館にあるようなので、読みたい。