壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

疫病と世界史

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疫病と世界史 W H マクニール 1976 Plagues and Peoples by William H McNeill
佐々木昭夫 訳 新潮社 1985


この分野の本で新しいものは、「銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎」 ジャレド ダイアモンド著でしょうが、「疫病と世界史」は、この分野で、たぶん初めて書かれた優れた古典です。

「銃・病原菌・鉄」をそのうち読もうとは思っていますが、まずはマクニールのほうに手をつけました。20年も前の本ですから、活字が小さく老眼が進んだ者にとっては、大変苦痛な作業になってしまいました。
幸いなことに、訳文が良く読みやすので、もっとはやく読んでおけばよかったと思いました。

いくつかの表現や言い回しの覚書を作っておきます。

序論
病気の概念も言語と同様、社会的・歴史的産物であることの説明として
”昔の聖者の中には、今日のアメリカ人が出会ったなら精神病院に送り届けてやりたくなるに違いないような人物も、歴史の記録に無数に見出せる。逆に、近眼とか嗅覚の鈍麻とか言うことは、われわれにとっていくらでも健康と両立しうるけれども、狩猟人だったわれわれの祖先たちならおそらく致命的な障害と判断したに違いない。だがこのような多様性にもかかわらず、病気の概念には硬い核のようなものがある。身体的不調のため期待された仕事を遂行できなくなった人間は、常に仲間から病気とみなされるであろうということである。”

第一章 狩猟者としての人類
生物の進化的発展は遺伝的変異と淘汰を通して進むため緩慢であるが、言語による学習の文化的社会的進化の速度は、自然界のバランスを著しく変形させる。

人類が森林から出て草原を二足歩行しだしたとき、熱帯雨林にひそむ寄生生物とは別のものに行き当っただろう。例えば現在もアフリカ各地にある睡眠病のトリパノソーマは、カモシカ類とツェツェ蝿の間を無症状に行き来し、人体に進入したときのみ、致死性の全身衰弱をもたらす。いまでも有蹄類の大きな群れがアフリカのサバンナに生存し得たのは、トリパノソーマのため人類がこの地域に入り込めなかったからかもしれない。

人類の他の生物に対する生態的立場を、病気のうちに分類しても奇矯とはいえまい。病気が個体のバランスを壊すように、人間は自然化のバランスを破壊する悪疫であり、一時的に沈静化したとしても、生物進化とは異なった文化的進化のため、人間と自然界は安定的な相互関係を持ち得ない。

熱帯アフリカにおいては、人類が生態系全体を圧倒することはなかった。アフリカで猖獗をきわめる寄生生物の多くは人体に完全な免疫反応を生じさせない。ヒト科の霊長類がアフリカで人類に進化する長い時間、周囲の生物も人類に適応する余裕があった。逆の見方をすれば、アフリカでヒトに寄生する生物が非常に多様性に富んでいるという事実は、アフリカが人類の主な揺籃の地であったことを示している。

熱帯から温帯に進出した人類の発展は、温帯での生物相の単純さに助けられている。冷帯寒帯への進出においては、微小な寄生生物との生態的バランスはさほど重要でない。

第二章 歴史時代へ
飼育と栽培という食糧生産は、食物連鎖を短縮するということである。これは人類に終わることのない苦役を課した。

栽培における雑草の効果的除去には二つの方法があって、湛水と鋤で耕すことである。湛水により人為的に冠水と旱魃を作り出し、イネ科などの限られた植物を栽培する。また焼畑ののち、物理的に土を撹拌することで、定期的に空白の生態的ニッチを作ることである。

大河流域文明の灌漑農業や稲作農業は、農民に住吸血虫症という健康被害をもたらした。また焼畑農法によって生じた新しい空き地は、マラリアを媒介する蚊の繁殖場所となった。

中間宿主なしに伝播するバクテリアやウイルスの感染症は、都市という人口過密な場所で広まる文明特有の病気である。もともとは家畜に起源を持つ人畜共通感染症で、はしかは牛疫、天然痘は牛痘から変化したものだろう。

農耕民を略奪するものたちが、後に農耕民の支配者となって、破滅的な略奪でなく、年貢の代わりに外敵からの保護をあたえるマクロ寄生と、寄生生物が人体に進入しても繁殖するのは短い間で免疫による抵抗力をつけさせ、死をもたらす悪性の病気の進入から守ってくれるミクロ寄生には相似性がある。

新しい病気が発生する際、宿主と寄生生物の間に行なわれる相互適応の過程は、オーストラリアで増えすぎたウサギに人為的に致死性のウイルス感染症を移行させたのち、致死性がうしなわれたのは少なくとも三年ののちであり、世代数からヒトの尺度にすると90年から150年となる。

宿主と寄生生物との適応が成立するまでには、最初は激しい形をとるが、あまりに凄まじいと長続きしない。感染症が長く生き残るものであるとき、周期的な感染が起きる。

例えば、はしかが現代の都市で存続するに足る最小の人口は50万人程度であろう。

紀元前3000年から同500年の間、異常に高い人口密度を持つ都市で、文明に付随するタイプの病気が確立するためには、都市の人口の減少を周辺の田舎からの人口と(食糧)の絶え間ざる流入が必要であった。

ヒトの巨大なポピュレーションが内部に、文明に付随する「小児病」(はしかや天然痘のような)を手に入れ、文明社会が孤立していた小さなヒトの集団と出会うとき、文明社会は一個の強力な生物兵器を手に入れたに等しい。

このような仮説は、実証を伴わない強引な断定と、ア・プリオリな演繹に写るかもしれないが、現存する資料はない。

インドにおけるアーリア人の侵略は、先住民族を飲み込んでしまえなかった。先住民族のすむ高温多湿の気候は、特有の感染症をもち、都市文明の侵略から、先住民を守った。その結果、先住民族カースト制度の最下層置いて、身体的接触を禁忌としたのであった。タブーを犯したとき体を清めるために守るべき念入りな規定は、病気へのおそれがいかに重要な動機だったかを暗示する。

第三章 ユーラシア大陸における疾病常生地としての各文明圏の間の交流
紀元前の西アジアでは、人口の稠密で、激しい争奪があったにもかかわらず、マクロ寄生もミクロ寄生も安定したパターンが成立した。

中国で、黄河流域の文明が、長江流域(稲作地帯)へ広がりにくかったのは、南の温暖湿潤地の疾病パターンが原因。

紀元前後の地中海文明で、ヒポクラテスの記述によれば、マラリアおたふく風邪などはあったらしいが、天然痘やはしか、ペストはなかったかもしれない。

アテナイペロポネソス戦争によって急激に力を失った背景には、トゥキュディデスの描写する疫病-アテナイ陸軍の四分の一が斃死し、人口の多い町だけをおそう-があった。

ユーラシアにおける陸路海路を介しての東西交流は、ローマ帝国に悪疫の流行を何度となくもたらし帝国の弱体化をまねいた。病人の看護が宗教的義務であったキリスト教はこの時代に適合した。
東アジア(中国と日本)における疾病の記録は膨大なものがあるにもかかわらず、精査されないままである。中国では紀元300年ごろ、天然痘ともはしかとも特定できない疫病が北西部から陸路を経て入ってきたという。ペストは海路から入ってきたらしい。仏教の広まりも同様に考えられる。

日本の地理的位置は、大陸からの病気との接触から隔離するものだったが、未知の病原体の侵入が、悪疫による異常な災厄をもたらした。天然痘は仏教の伝来とともに入り、繰り返し大流行し、13世紀になってやっと通常の小児病になった。はしかやおたふく風邪なども同様のパターンであった。日本列島は13世紀になってやっと文明世界の疾病パターンに追いついた。これはヨーロッパにおけるイギリスの人口が大陸に比べ少なく、疫病の流行が繰り返された状況と同じである。

第四章 モンゴル帝国勃興の影響による疾病バランスの激変 紀元1200年から1500年まで
中世ヨーロッパを襲ったペストが如何にもたらされたかを説いた章。ペストは穴居性げっ歯類の風土病として存在するが、19世紀から20世紀に多くの地方のげっ歯類集団に蔓延した(人間集団は、かろうじてパンデミックから逃れた)原因は、汽船による速やかな伝播と各地に生息するペストに感受性を持つげっ歯類集団、それに加えペストがネズミの風土病となっている地方独特の、迷信とも言えるような生活習慣が侵入者によって破られたこと。

14世紀ヨーロッパのペストの発端について。ヒマラヤ山麓から、モンゴルの騎兵隊とともに草原にひろがったとしている。ただあれほどの災厄は、クマネズミがヨーロッパ全土に存在し、船舶の航路網が発達し、人口が一種の飽和状態にあったことが引き金となった。

1665年のロンドンにおけるペスト大流行を最後に、北西ヨーロッパでの流行が見られなくなったのはなぜか。(イギリスの統計によれば、中世ヨーロッパの人口が回復するのに、5~6世代、100~130年かかっている。)
隔離検疫や公衆衛生上の措置が決定的な要因ではないだろう。クマネズミに取って代わった用心深い家ネズミのせいでもない。ありそうなのは、感染パターンの変化で、例えばペスト菌に類似の(またはペスト菌から突然変異した)偽結核(軽症)をおこす細菌の交差免疫によるかもしれないが、実体は不明である。

14世紀の以降、ヨーロッパでは感染パターンの変化が起こったのは確か。ライ病(ハンセン病)は減り、結核は増加した(交差免疫か)。フランベジアと梅毒も。経済的、社会的文化的影響も計り知れない。

同時期、ユーラシア全体(アジア、イスラム圏)、 アフリカ(エジプト)もペストの洗礼を受けたに違いない。 (続きは、5000字を超えるのでまた別の日に→http://blogs.yahoo.co.jp/rtpcrrtpcr/18805023.html