壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

水俣病の科学

イメージ 1

水俣病の科学 西村肇 岡村達明 日本評論社 2001年 3300円

水俣病の原因が有機水銀メチル水銀)であることは今は誰でも知っていることと思っていました。
しかし、チッソ水俣工場が1932年からアセトアルデヒドを作ってきたのに、
(1)なぜ1954に水俣病が多発したのか、
(2)世界にたくさんのアセトアルデヒド工場があるのになぜ水俣だけに起きたのか
という、2つの大きな疑問が残ったままだったそうです。

当時どれだけのメチル水銀がどのように排出されたのかについては、公式にも非公式にも一切のデータが存在しない中、当時の工場の労働者や技術者からの聞き書きやメモを掘り起こし、どれくらいのメチル水銀が排出されたのかを計算しているのです。(企業等の隠蔽とメチル水銀測定法の問題です)。

(1)1950年代初めに、生産工程の触媒を変更したためメチル水銀の生成量が急増し、精留塔ドレーンが、さらに反応母液自身も排出されていたことで、1954年には生物濃縮により人間への被害が明らかになりました。
(2)水俣工場で、精留塔ドレーンのメチル水銀蒸発量が高かったのは、工場のプロセス用水中の塩素イオン濃度が高かったことが原因であるが、海水の混入か?なぜ高かったのかは不明。

工場から排出されたメチル水銀量推定値の動きと、貝類の水銀汚染、水俣病発生数の動きが重なっていたのです。

水俣病発生から50年近くたって明らかになった事実に驚くばかりです。