壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

渡りの足跡 梨木果歩

ご無沙汰をいたしました。申し訳ないことに、いただいたコメントも放置したまま、半年近くも留守をしました。身辺いろいろあって、静岡と東京を行ったり来たり。なんとなく体調不良で、ブログにアクセスすることも含めて、いろんなことが面倒になっていました。本が読みたいという気持ちはあるので、見かけた本を図書館で借りるのですが、期限までに読むことができずに敗退し、さらにガッカリするという悪循環でした。一ヶ月に三冊ほどのペースで読み、メモを残してはありますが、ブログにするほどの気力がありませんでした。

静岡は申し訳ないほど平穏です。でも今住んでいるところは海から1Km以内で、原発から30-40Kmです。もし東海大地震が起きたらと思うと、どうしていいのかわかりません。こういう非常時に直面して、不安なことがたくさんある中で、かえって何とか読書記録だけは続けたいと思い直すようになりました。安定した日常というのが、実はとても貴重なものだと改めて思います。そして、このブログで知り合った方々がお元気でいらっしゃるのかも気になって、戻ってきました。人恋しいというか、誰かとつながっていたいという気持ちが出てきたのかもしれません。以前のように定期的には更新できないかもしれませんが、週に一度でも、細く長く続けられたらと思います。

明日は、震災後初めて首都圏に向かいます。

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渡りの足跡 梨木果歩
新潮社 2010年 1300円

私にとっては初読の作家なので手始めにエッセイから。趣味のバードウオッチングなんていう軽いものではなく、渡り鳥の生態観察を行うために、山奥や地の果てのような所まで出かけていく著者の憑かれたような思いが伝わってきます。

例えば、安曇野とジャワの一万キロを超える渡りをするハチクマの話。(元ネタは『鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡』という本なのだそうですが)一切の地図も写真もなしに、想像力をかき立てる筆致は素晴らしい。

「渡りの本質:生きることは時空の移動であり、それは変容を意味する。」と、渡り鳥ばかりでなく、移民や探検、訪問販売といった、移動せざるを得ない人間の営みも織り交ぜて語られています。(2011年1月読了)