「蟹の横歩き」のようにつづられた話は読むのがひどくもどかしかったのですが、今度は玉ねぎの皮をむくように語られるグラスの個人史もまた、すんなりと読むことができませんでした。読み手を混乱させる難解な語り口は、玉ねぎの皮をむくどころか、もつれた毛糸玉をほどこうとして、毛糸玉から解いて指でつまんでいる部分が全体のどこに当たるのか見当がつかないように、語られる時間は一様でなく、過去の中に突然、現在が顔を出します。
自らの過去を語るのに、自分自身を「私」、「彼」、「私の名を持つ少年」など、一人称と三人称を混在させながら、語り手としての作者と、語られる対象としての自分を二重に重ね合わせていますが、語ろうにも語れないものがこの重なりの翳に潜んでいるのでしょう。さらに、「私」が過去を想起し饒舌に語ることに虚構が混ざらないように、懐古の響きが残らないように、自己弁護や自己欺瞞に陥らないように、監視する「私」がひょっこり顔を出しては検閲するかのようです。
もしグラスがノーベル賞を受賞していなければ、もしグラスがドイツの過去に厳しく向かい合うことを訴え続けていなければ、17歳の時にナチの武装親衛隊員だったことを、60年以上経った今になって告白したとしても、それほどの騒ぎにはならなかったでしょう。1927年生まれのギュンター・グラスが若いときの体験をはっきりと語ってこなかったことが、自己を何十年も懐疑的に語り続けるグラスの原点になっているのでしょうか。
グラス節とでもいうような独特な語り口に慣れてくると、巧みな文章に魅了されるようになります。戦争中、SSの徽章をつけた少年はどのように恐怖を知るに至ったか、どのように生き延びたのかを息詰まる思いで読み、捕虜収容所で講習を受けたエア・クッキング?(材料も道具もなしで、言葉と身振りだけで料理を習った)に笑いました。
ガスマスクに詰め込んだジャムの話、故郷を失ってのち石工見習いとして彫刻を覚えたこと、詩を書き始めたこと、失恋をきっかけに出かけたイタリアヒッチハイク旅行などなど、面白い話に興味を惹かれて夢中になっていると、そんなに信じて楽しんではいけないよ!というように、時に顔をだす懐疑の言葉につまずいて興をそがれるので、読むのにずいぶん時間がかかりました。
他の作品をほとんど読んでいないので、グラスの経験や思いが作品にどのように反映されてきたかを理解するまでには至りませんでしたが、もつれた毛糸玉を解くというよりは、やはり、玉ねぎの皮をむくといったほうがいいのでしょう。玉ねぎの鱗片をむくように、自分自身をむき続けなければならないことの痛みがかすかに伝わってきます。
したがって、言い逃れには事欠かない。しかしながら、私は数十年以上ものあいだ、世間に対してその単語とニ重の文字(SSのこと)を告白するのを拒否してきた。自分が若かりし目に、愚かな誇りを抱いてしまったことに対して、戦後ますます恥ずかしい思いが募っていくなかで、払は沈黙してしまった。しかし、重荷は残った、そして、誰もそれを軽くすることはできなかった。 たしかに、秋から冬にかけて、払を鈍感にした装甲狙撃兵としての教練のあいだ、のちに明るみに出たような戦争犯罪については何も聞かされていなかったが、いくら知らなかったとは言っても、数百万人の虐殺を計画し、組織的に実行した体制の一部だったという事実を覆い隠すことはできない。実際に行動したわけではないとしても、今日まで拭い去れないもの、お馴染みの共同責任と呼ばれるものが残っている。このことを胸に生きていくことが、残された人生の定めとなったのである。(P117)