壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

朝鮮 紀行

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朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期 イザベラ・バード
時岡敬子訳 講談社学術文庫 1998年 1500円

明治維新後の日本を旅したイザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読もうと思いたったのですが、図書館の本は貸し出し中で、こちらの本を先に読みました。

1894年から1897年にかけて計四回、英国人女性旅行家が訪れた開国後まもない朝鮮半島は、日清戦争東学党の乱、閔妃暗殺という事件の続発する動乱の時代でした。当時のイギリス総領事ヒアリーの序文からもわかるように、イギリス帝国主義的な歴史観と、キリスト教的な倫理観が基本だった時代です。そういう西洋人の視点が背景に色濃くあるにしても、バード女史の観察眼は鋭く率直で客観的です。

西洋人がほとんど踏み入れない土地に、馬一頭で運ばなければならないほどの量の小額通貨を小船に積み込み、携帯するのは紅茶の葉とカレー粉と小麦粉の他は食料を現地調達、最低限の日用品だけで若い宣教師一人と下僕二人と共に漢江を遡る様子は、文化人類学の調査旅行とか探検に近いものがあります。

イザベラ・バードはこのとき60歳を超えていましたが、社会情勢から地理や地形、動植物、民俗と目に付く限りの情報を収集するその精力的な仕事ぶりはみごとです。ソウルから半島を横断して仏教寺院で有名な辺鄙な金剛山(今は北朝鮮の観光地)にまで足を伸ばし、ソウルでは国王と王妃(後に暗殺された閔妃)に謁見しています。

日清戦争の間は命からがらという感じで奉天に逃れますが、ウラジオストックで国境の外からロシアに住む朝鮮族の生活を観察し、日清戦争後に再びソウルから通訳と従者を連れ馬に乗って、壊滅的破壊を受けたピョンヤンに旅しています。隣国や西洋の大国の間で弄ばれ、苦悩する朝鮮の様子がきっちり書かれています。

かなり過酷な旅を続けられた理由は、かなりの時間をかけで優秀な案内人兼通訳を選んだ事と在留する同国人(領事や宣教師、商人など)の伝手を頼って事前にかなりの情報収集を行なっていた事が大きいでしょう。しかし、それに加えて彼女の強い意志と決断力や臨機応変に対処する才能、その国の人たちと生活をともにし暖かい気持ちで接するその人柄も不可欠だったに違いありません。

イザベラ・バードとはどんな女性だったのでしょうか。図書館で伝記を見つけましたので、「日本奥地紀行」の後に読みましょう。