壊れかけたメモリーの外部記憶

70代の読書記録です。あとどれくらい本が読めるんだろう…

わたしたちが孤児だったころ

イメージ 1


この物語の語り手クリストファー・バンクスは、20世紀初め上海の租界で暮らす少年。両親が事件に巻き込まれて姿を消し、孤児となりました。イギリスに戻り探偵を志す彼は、長じてのち、再び上海に戻り両親の事件を調べ始めます。

クリストファーが語る物語には、いくつものフィルターがあるようです。彼がその時点で知らないことや記憶していない事、または誤解している事、知っているはずなのに記憶の底に押し込めている事、または信じ込もうとしている事、彼が話したくない事、カズオ・イシグロによって話すことを禁じられている事。この何枚ものフィルターの向こうに見え隠れする得体の知れない事実を知りたくて、いささか冗長な語り口を我慢して読み続けました。

彼が、現実と幻想の間にたどり着いた事実でさえ、簡単に信じることはできません。最後の最後まで、彼は現実を見ようとしない語り手であり続けます。彼自身の真実であっても、現実ではないのです。ロンドンで探偵、それも名探偵を営むなんてね・・・。ミステリーのようではありますが、最後まで現実はクリアにはなりません。ある一人の人間の認識と客観的事実が一致しないのは現実の世界では当たり前のことです。

アクロイドのように単純なUnreliable Narratorではありません。どんな幽霊が出てくるのか知りたくて、お化け屋敷を巡るうちに、出てきた幽霊はそれほど得体が知れないわけではないが、お化け屋敷自体がフィクションであるばかりか、それを取り囲む遊園地も、さらにその遊園地がある世界全体も、すべて信用できずに歪んで見えるような不思議な気持ちになりました。

虚構と現実の間に、この物語が持つ普遍的真実があると思うのです。この余韻の残り方が好きですね。フィクションの醍醐味。別の作品で、また騙されましょう。